2017.7.27 |
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ときには、へこむことも大事 |
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医師、鎌田實氏の心に響く言葉より…
僕はしょっちゅうではありませんが、「自分はダメな人間だ」とへこむことがあります。
へこむとは、「素直に自分を見つめる」ということかもしれません。
へこむことのよい点は、「ダメな自分」や「ブレる自分」を認めることです。
じつはアルコールやギャンブルなどの依存症の人には、へこむのを隠して、“強がる”人が多いことが知られています。
困難に直面したとき、素直に「助けてください」といえる人なら、アルコールやギャンブルなどに溺れなくてすむかもしれない。
でもそれがいえないために苦悩を抱え込み、アルコールやギャンブルに逃避するのです。
元プロ野球選手の清原和博氏は、まるでプロレスラーのように筋肉を鍛え、強そうに演じてきました。
バッターボックスに入るときも長渕剛の曲「とんぼ」をかけ、ピッチャーを威嚇(いかく)するようでした。
いつも強いイメージを演じていたけれど、じつは弱い人だったのだろうと思います。
弱いということを素直に見せていれば、あんなに異常に筋肉を鍛えなくてもよかったはずなのです。
イチロー選手を見てください。
筋骨隆々ではありません。
弱そうで強い体をつくってきました。
清原氏は、鎧(よろい)のように強そうな外見(そとみ)だけに目を奪われていたのです。
彼が内面の強さの大事さに気がついていれば、もっと素晴らしい記録も残せただろうし、薬物依存に陥ることもなかったはずです。
それでも、人間に手遅れなんてありません。
問題は清原君、君がまず、自分を疑う勇気をもつことです。
僕も偉そうなことはいえません。
でも、まずは疑うことから始めてみたらどうでしょう。
そして、自分を変える勇気をもち続け、いつか、自分を壊す勇気に到達できたとき、君は新しい清原和博になることができます。
「自分革命」には遅すぎることはありません。
いつでも熱い言葉をきっかけにして、自分の人生の革命はできるのです。
人生に手遅れなんてありません。
「遊行(ゆぎょう)」です。
死んだ気でやればいいのです。
弱くて強いという“本当の強さ”の形もあることを、忘れてはいけないと思います。
不思議な無手勝流(むてかつりゅう)です。
へこたれることの繰り返し。
でも、へこたれても、へこたれても自暴自棄にならず、あきらめない。
風にそよぐ葦(よし)のように、やわらかくて簡単には折れない人なのです。
強くなくていいのです。
やわらかく、風になびいていればいいのです。
必ず、逆風はやみます。
「へこんでみる」とは自分の弱さに気づくこと。
弱さを隠さなければ、素直に自然に生きられます。
依存症の人に限らず、苦しくなったときには強がらず、泣きたいときには泣くこと。
そうやって感情を開放すれば、人は立ち直り、のびのびと生きられるはずなのです。
『遊行を生きる 悩み、迷う自分を劇的に変える124の言葉』清流出版
行徳哲男氏はこう語る。
「きれいごとに過ぎると偽装と欺瞞(ぎまん)が始まる。
人間には格好いい感情と格好悪い感情があるが、われわれはすべからく格好いい感情で表現しようとする。
しかし、格好いい感情はそれゆえに偽装されている。
心の中にドロドロとしたものがありながら、それをきれいな言葉にすりかえてしまう」
大人になるにしたがって、子供心を失ってしまう人は多い。
それが感性の欠如だ。
世間体とか、しがらみとか、体裁(ていさい)とか、という「格好つける気持ち」が、幾層ものかたい鎧となって、心のまわりにできてしまう。
心のまわりにガードができると、自分の弱みや格好の悪さをさらけだすことができない。
子どもにはその鎧がないから、天真爛漫(てんしんらんまん)だ。
ときには、へこむことも大事だ。 |
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