2017.7.1 |
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やる羽目になったことは嫌がらずにやる |
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小林正観さんの心に響く言葉より…
もう40年も前の話、私が20歳のころに、旅先でよくこんな質問を受けました。
旅をしている20代のOLさんが多かったのですが、そのOLさんたちがこんな質問をするのです。
「コピー取りとお茶くみしか私には仕事がありません。
4年制の大学を出たにもかかわらず、コピー取りとお茶くみしかやることがありません。
そのために大学を出たわけではないので、毎日がむなしくて嫌々仕事をしています。
本当の私、本当の私の仕事に出会うためには、どのようにしたらいいでしょう。
取りあえずは今の会社は辞めたいのですが」
私の答えはいつも一緒です。
「私がもしあなたの上司であるならば、コピー取りとお茶くみを嫌々やっている人に、それ以上の難しい仕事を頼むことはないと思います。
コピー取りとお茶くみさえもちゃんとできないのであれば、それ以上に何かの企画を頼んだり、何かの商談をまとめてくれと責任を持って委ねたりということには、ならないのではないでしょうか」
やる羽目になったことは嫌がらずにやる。
これが宇宙の法則です。
この宇宙の法則を味方につけないかぎり、たぶん楽しい人生が回ってくることはないでしょう。
ただ、この話は、「努力しなさい」「頑張りなさい」と言う話とは違います。
努力の「努」には、嫌々、無理やりやらせる、嫌々なのだけど、無理やりやらされるという意味が含まれています。
嫌々やらされている奴隷の「奴」の人の「心」。
つまり、奴という文字の下に心を書いて奴隷の心。
これは「怒」という文字になります。
なぜ怒りなのか。
無理やり嫌がるものをやらされるからです。
イヤなことを無理やりやらされることが努力。
そして、その努力に無理やり追い込まれ人間の心が、怒りという文字になりました。
では、たとえば、家の中の家事が楽しくない。
子守・子育てだけが仕事なので、自分の人生はむなしいと思っている主婦がいるとします。
その場合に、そのむなしさを解決する方法が2つあります。
1つは、その子守・子育てを投げ出してしまうこと。
やめてしまうこと。
ですから、離婚をするなり家を捨てるなり、という選択があるかと思います。
もう1つの選択方法があります。
それをイヤなものだと思わずに、楽しいものと思ってやり始めるという方法です。
この方法は誰にも迷惑をかけません。
しかも、自分自身が楽しくなるような選択ですから、それからの時期が楽しくなると思います。
考え方やとらえ方を変えることによって、物事の価値が、内容が、だいぶ変わってきます。
根元的な話ですが、自分のまわりの気に入らないことを、「気に入らない、気に入らない」と言っている間は、たぶん何も解決しないでしょう。
自分のとらえ方や考え方を変えることで、ものが全然違うものに見えてくる。
全然違う状態に見えてくる。
この方法が自分にとっては一番ラクだし、一番速い方法です。
そして、究極の方法でもあります。
自分の思うように環境を変える、状況を変えるのではなくて、自分の考え方やとらえ方を変える。
これが一番ラクで簡単な方法なのです。
すべてのことにこれは使えるので、この方法を身につけたら、人生生きるのがとてもラクになります。
『啼かなくていいホトトギス (中経の文庫)』
鈍(どん)な人には、あたたかな味がある。
鈍とは、鈍感(どんかん)だったり、鈍間(のろま)であったり、鈍重(どんじゅう)であること。
茫洋(ぼうよう)として、人よりも一歩遅れたり、人に押しのけられたりもする。
たいていのことにはすぐに反応しないし、待つこともできる。
それは、損得勘定や我欲が少ないからだ。
反対に、鋭(するど)い人には、冷たさがある。
鋭い人は、カッとなったり、即座に反論したり、すぐに反応してしまう。
感性ではなく、理性や頭が先行しているからだ。
それは、損得や我欲で動いているということ。
その人に乗り越えられない問題はこない、という。
なぜなら、輪廻の考え方からすると、自分にやってきた問題は、自分が設定した試験問題だからだ。
だから、どんな問題にも、解決できる方法がある。
その一番簡単な方法が、自分の考え方や、見方を変えること。
やる羽目になったことには、やらなくてはならない意味が必ずある。
だから、「なぜ?」ではなく、「何か意味がある」と考えること。
やる羽目になったことは、嫌がらずにニコニコと進んでやる人でありたい。 |
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