2017.6.14 |
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「面倒くさい」の中に運が眠っている |
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本田健氏の心に響く言葉より…
私がよく行く日本料理店に、徹底的に仕事を究める料理人がいます。
彼は、メインではない付け合わせの野菜一つにも、見事な飾り包丁を入れます。
たとえば、ニンジンで紅葉を、キュウリで青葉を表現したりするのです。
たしかに、それによって美しさが増し、私たちの目を楽しませてくれていますが、それをしなくても彼の料理は充分に美味しいのです。
あまりにも手間がかかりすぎではないか。
連日満員の人気店なのだから、その手間をほかに回したほうが得なのではないか。
そう思った私は、一度聞いてみたことがあります。
「どうして、こんな面倒なことをするんですか?」
すると、「面倒くさいと思ったら、そこから、さらに三手間かけるようにしているんです」という答えが返ってきました。
その手間があるからこそ、お店は流行っているのだと。
彼の答えにしびれました。
だから私も、彼を見ならって、本のゲラをチェックするときなど「もういいだろう」と思ってから、さらに最低三回は見直して、修正、加筆するようにしています。
どんな仕事でも、手を抜こうと思えば抜けるし、さらに手間をかけようと思えばかけることができます。
たとえば、上司に「〇〇について三つの案を金曜日中に出してくれ」と言われたら、三つの案を期限ぎりぎりに出してよしとするでしょう。
その中には、「まだ詰めが甘いな」と感じる案も交ざっているはずです。
「でも、まあ、言われたとおりに出せたから、いいや」
これが、普通の人の働き方です。
でも、運を開いていく人は、ここに「ちょっとプラス」を心がけます。
三本と言われたところを五本出してみる。
期限より一日早く、木曜に出してみる。
あるいは、案を出すだけでなく資料をつけてみる。
こうした小さなひと頑張りによって、この人は、全然違うという印象を与えることができます。
そうやって、ほかの人にはつかめない運をつかんでいくのです。
小さなひと頑張りをプラスしても、すぐに実利につながるとは限りません。
もしかしたら、その頑張りに上司はなかなか気づいてくれないかもしれません。
しかし、「手を抜かずにやった」という気持ちは自分の中に残ります。
それはとても大事なことなのだと思っています。
いつも手を抜くクセをつけていれば、それに見合う結果しか手にできません。
見る人は、ちゃんと見ています。
やがて大きなチャンスが訪れることは、間違いないでしょう。
『強運の法則』PHP研究所
「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に一歩を進む 」
という「伝灯録」の中の禅語がある。
百尺とは、約30メートルのことだが、長い竿(さお)の先まで達しているのに、その上さらに一歩を進もうとするような努力のこと。
自分として、もうこれ以上ない努力や工夫をしたと思っても、そこからさらにもう一歩努力をしてみること。
「面倒くさいと思ったら、そこから、さらに三手間かける」
「面倒くさい」の中に運が眠っている。 |
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