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2017.6.5

囃されたら踊れ


落語家、立川談慶氏の心に響く言葉より…

談志は弟子にはよく、「囃(はや)されたら踊れ」とも言っていました。

与太郎はまさに囃されたら踊る体質でした。

それは「囃されない限りは踊らない」ことも意味していました。

何をやるにしても、いつも周囲が与太郎に仕込んでいました。

与太郎が自発的に何かをやろうとしているシーンは、ほとんどありません。

談志の「囃されたら踊れ」は、「元来与太郎的資質を持つような人間が落語家になれるのだ」という思いで言っていたのかもしれません。

「囃され上手な体質になれ」という意味でもあるようにも思えます。

そもそも踊りは囃しに合わせて舞うものです。

先に踊った人間の後を追って囃しが加速されるわけではありません。

囃し先行です。

こう考えてみると、一見、受け身で消極的にすら感じる「囃されたら踊れ」は、じつはものすごい高度な意味合いを持っているのではと察します。

自分一人で他者を巻き込もうとするパワーも大切ですが、周囲から「巻き込もうとする力」のほうが、はるかに甚大です。

とにかく談志のセリフは、短い割りに深いのです。

常に補助線を引かないといけない「めんどうくさい言葉」だらけです。

「周りを信じてみろよ。そこに身をゆだねてみたほうが絶対面白いぞ。そこから見える景色はきれいだぞ」なんて、言いたかったのかもしれません。

さて、ここからはかなり飛躍したことをいいますが、談志は生前、アドバイスとして、「売れたきゃプロデューサーと仲良くしろ」とも言っていました。

プロデューサーは「囃す側」の立場の人です。

ディレクターが現場責任者なら、プロデューサーとは、俯瞰かつトータルに見つめなければならない人のことを指します。

「囃されたら踊れ」とは、「第三者的なポジションに位置する人のほうが、お前のことをよく見ているはずだ。向こうの話に、乗ってみろ」、つまり「調子には乗れ」と言っていたのではと確信します。

囃されたら踊る与太郎と、弟子には「囃されたら踊れ」と発破をかけ続けた男子とが、またまたここで結びついた格好ですが、両者共々、「人を信じること」を大前提としている気がします。

自らが中心となって、積極的に踊り続けてここまできた皆さん、周囲から囃されるのを待ってみてはいかがでしょうか?

そんな時間も絶対必要なはずです。

「こいつなら面白そうだから、ちょっと囃してみようか」とゆったり構えるのも手です。

きっとそんな人が現れてくるはずです。

『なぜ与太郎は頭のいい人よりうまくいくのか 落語に学ぶ「弱くても勝てる」人生の作法』日本実業出版社


小林正観さんは、「頼まれごとがきたら、それを全部引き受ける人生がいい」という。

「頼まれ続ける人生」というのは、いかにも受け身で消極的な生き方のように感じる。

自らが決めて周りを引きずりまわす方が、いかにも主体的に動いているように思える。

誰かに「頼まれる人」は「頼まれやすい人」だ。

頼みにくい人には、頼まれごとはやってこない。

つまり、自分中心で、まわりを引きずりまわしているような人のところには、頼まれごとはやってこない。

年を重ねたのに周りから頼まれごとがやってこない人は、若い頃から自分中心の生き方だったのかもしれない。

「囃されたら踊る人」は、鈍(どん)な人。

鈍な人は、頼まれたり、誘われたりする。

鈍な人は、まわりから好かれる。

囃されたら気持ちよく踊る人でありたい。


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