2017.5.08 |
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人間の機能(役割)は、喜ばれた数だけ存在する |
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小林正観さんの心に響く言葉より…
コップの機能を考えてみます。
お湯を溜める、水を入れるなど2つの機能があります。
新幹線を考えてみると、物を運ぶ、人を運ぶなど2つの機能がありあります。
機能というのは、つまり役割ということです。
その役割をいくつ果たせるのか、と考えてみると、鉱物の場合、だいたい2つくらいの機能があります。
では、植物の場合はどうでしょうか。
木の実を落とし動物にえさを与えている、二酸化炭素を酸素に変えている、防風林、防砂林などの役割もあり、いろいろと考えていくと、20くらいの機能がありそうです。
では、動物の場合はどうでしょうか。
動物は、食物連鎖の中に存在していますから、自らがえさになってほかの動物を生かすこともしています。
また、種を運んだり、最近では人を癒すペットとしての役割も持っています。
こういったものも含めていろいろと考えていくと、200くらいの機能がありそうです。
では、人間の機能というのはどのくらいあるのでしょうか。
私はそれをずっと宇宙に問いかけていました。
そして、問いかけてから2年ほど経ったとき、次のような答えがきました。
「人間の機能は、喜ばれた数だけ存在する」
たとえば、満員電車の中で、おばあさんに席を譲って「ありがとう」と言われた。
その瞬間に、「私」がこの世に生まれた意味が一つ誕生しました。
駅で、びしょぬれになっている人がいて、自分が帰る方向が一緒だったから、「途中まで一緒に行きましょうか」と言って、「ありがとうござます」と言われたら、それがまた一つの機能になるのです。
しかも、相手は人間だけではありません。
たとえば、ここにグラスがあって、これをドンッと乱暴に置いたら割れてしまった。
そうすると、このグラスの魂は「ああ、この人に持たれたくなかった」と思うわけです。
喜ばれていない。
けれども、本当に心を込めてそっとおいた時には、「ああ、この人に持ってもらってよかった」と思ってもらえる。
それが、「喜ばれた」ということです。
人間だけではなくて、すべてのものから喜ばれた時に、「私」という存在は機能を持つことになる。
実は、この世に生まれたことの意味は、喜ばれることであり、その機能の数は、人間だけは上限がない。
今、「私」がそのことに気がついて、自分がそのように生き始めると、人間である「私」の機能は、無限に増やすことができます。
人間だけは、自分の意志によって、機能をいくらでも増やすことができる。
人間の喜びや幸せというものは、最終的には、自分が喜ばれる存在であることに尽きるようです。
『悟りは3秒あればいい (だいわ文庫)』
機嫌よく丁寧に生きている人は、「挨拶がきちっとしている」、「言葉づかいが乱暴でない」、「誰にたいしても気づかいができる」、「偉そうにしない」人だ。
機嫌よく丁寧な人は、まわりから喜ばれる。
反対に、不機嫌で、ぞんざいで、なげやりな人は、まわりから嫌われる。
一つひとつに心を込める。
決して小さなことでもないがしろにしない。
手を抜かない。
挨拶ひとつ、返事ひとつで相手を喜ばせることもできれば、気分を悪くさせることもできる。
「人間の機能(役割)は、喜ばれた数だけ存在する」
人として喜ばれる存在でありたい。 |
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