2017.4.22 |
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生きているということは、誰かに借りをつくること |
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藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
小さなスパンでは、不順もありますが、季節は確実にめぐっています。
「四時(しじ)の序(じょ)、功(こう)を成したるものは去る」
という言葉が『十八史略(じゅうはちしりゃく)』にあります。
四時というのは、春・夏・秋・冬のことです。
春は春の役割をしっかりと果たして夏にゆずっていく。
夏も、秋も、冬も同じです。
それぞれの役割を精一杯果たして、次の季節に移っていくわけです。
何千年、何万年と続く宇宙の摂理から、人間も逃れられません。
役割を果たした人は常に、次の人にバトンタッチして、冥界(めいかい)に移っていきます。
言い換えれば、いま、ここに生きている私たちは自分の役割を果たさなければならない、ということです。
どんな偉大な指導者も、哲人も一人で人格を形成した人はいません。
人は皆凡夫なり、と聖徳太子はいったそうですが、人は皆、縁の中でしか生きられない、その意味では人は皆一様に凡夫です。
一篇の詩が思い出されます。
どなたかの作かは知りませんが、時折、思い起こしては自らを省みています。
生きているということは、誰かに借りをつくること
生きているということは、その借りを返していくこと
誰かに借りたら、誰かに返そう
誰かにそうしてもらったように、誰かにそうしてあげよう
誰かと手をつなぐことは、その温もりを忘れないでいること
巡り合い、愛し合い、やがて別れのその時、悔いのないように今日を明日を生きよう
人は一人では生きてゆけないから
誰でも一人では歩いてゆけないから
『生きる力になる言葉』致知出版社
どんな人であろうと、誰であろうと、人は赤ちゃんのとき、母親に世話をしてもらったから大きくなることができた。
「おむつをかえてもらった」、「お乳をもらった」、「着替えさせてもらった」、「抱っこしてもらった」、「熱のあるとき必死になって看病してくれた」…。
同様に、幼稚園、小学校、中学、高校と、まったく親の世話にならずに、学校生活をおくれた者もひとりもいない。
仕事も家庭も同じで、誰かのご縁とお世話があったから、今がある。
死ぬときも同じ。
死んだあとは、必ず誰かのお世話になる。
人の世話になって生まれて育ち、人の世話になって死ぬ。
だからこそ、生きている間は、そのご恩返しをしておきたい。
「生きているということは、誰かに借りをつくること」
借りを返すとは、人様に喜んでいただくこと、お役に立つこと。
お借りしたご恩を、少しずつでも返してゆきたい。 |
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