2017.4.19 |
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人間的成功を目指す |
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西田文郎氏の心に響く言葉より…
私は、経営者に必要な3つの力について、勉強会などでお話してきた。
それが「知・徳・胆(たん)」である。
「知」とは「知性」であり、分析力である。
組織経済学、戦術・戦略、マーケティング、財務、実行力といった、ビジネスモデルの構築に関する部分で、いわゆる「金儲けの仕組みづくり」である。
「徳」とは、人望、人間力などといった、経営者が備えておくべき「心」に関する部分である。
最後の「胆」とは「胆力」であり、決断力である。
度胸と言ってもいいだろう。
度胸のある人のことを「肝が据わっている」という言い方をするが、経営者は決断力がないと、まず成功しない。
情熱、度胸、勇気、正義、信念、執念、独自力、達成力、先見性、予知力などといった、メンタルタフネスに関する部分である。
私は、これまでの勉強会や著書の中で、成功には「社会的成功」と「人間的成功」の2つの成功があるとお話してきた。
そして、経営者の皆さんには、一見すると相反するように見えるこの2つの成功を両方とも目指すようにお伝えしてきた。
「社会的成功」とは、競争原理によって成り立っているこの社会での成功である。
経営者ならば、他社との競争に“打ち勝つ”ことで、高い地位や収入、企業繁栄を獲得することである。
社会的成功を実現するには、極めて厳しい戦いに勝利する必要がある。
一生懸命に社会的知性を高めていかないと、競合やライバルには勝てないからだ。
言い換えるならば、社会的成功は「正しさ」の追求である。
経営ならば、いかに正しい営業戦略や財務戦略を選択できるかで、効率性や生産性を追求して、その結果として社会的成功に到達できることになる。
それに対して、「人間的成功」は精神的な成長や充足によってもたらされるものである。
その際、家族や友人、近しい人たちとの良好な関係は欠かせない要素となるので、「他者を受け容れる能力」が必要となる。
人間が一番気づかないものが「自分自身」である。
他人のことは気づかなくてもよいことまで気づくのに、自分の欠点にはなかなか気づけないものだ。
不思議なことに、人間は自分の愚かさに気づくと、人間的に成長するものなのである。
自分の愚かさに気づいている人は、謙虚である。
反対に、自分の愚かさに気づいていない人は、すぐ図に乗って見苦しいばかりだ。
「人間的成功」とは言い換えるならば、「己の愚かさ」の追求である。
人間はどうしても「自分は他人より優れている」と思いがちである。
この心持ちでは他者を受け容れることは難しい。
自分の愚かさに気づいている人というのは、たとえ自分のほうが能力的、経済的に優位だとしても、決して驕ることなく、相手の美点や長所を見出して、自分の愚かさに気づくものである。
ただ世の中を見てみると、「社会的成功」を手にしようとがむしゃらになって働くあまり、もう一つの「人間的成功」をないがしろにしてしまう経営者が実に多い。
家庭をまったく顧みることなく仕事一辺倒になり、富と名誉は手にしたものの、妻や子どもに愛想を尽かされて、結局は豪邸に一人ぼっち取り残されて、心の中の大きな喪失感と孤独感にさいなまされる人もいれば、自分の健康には目もくれず、がむしゃらに仕事をして、会社は急成長したものの、内臓もボロボロで、体力も衰退し、病床に伏せってしまう人もいる。
このように、いくら大きく稼いで、「社会的成功」だけを達成しても、「人間的成功」がなければ、優越感や達成感はあっても、幸福感は味わえないのだ。
社会的成功だけを考え、感謝や恩を感じないでいると、どんなに大金を手に入れたとしても、誰にも感謝せず、感謝されることもなく、孤独な人生のまま死んでいくことになるのである。
『天運の法則』現代書林
お金や社会的地位を得ることを否定する人がいる。
お金は汚いもの、お金持ちは悪い人、というような偏見があるからだ。
斎藤一人さんは、それは「お金に対する偏見ではなくて『人間』に対する偏見だ」という。
お金持ちにもいい人もいるし、貧乏な人にもいい人はいる。
また、その反対に「悪い人」もいる。
『「人間的成功」とは言い換えるならば、「己の愚かさ」の追求である』
「己の愚かさ」を分かっている人は、偉そうにはしない。
だれとでも、面白がって、ふざけたり、バカなこともやったりすることができる。
時に、子どものようになって楽しむことができる人。
感謝や恩を忘れず、人間的成功を目指したい。 |
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