2017.3.31 |
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謙虚に学ぶ |
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渡辺和子氏の心に響く言葉より…
「子どもがあの学校に合格しますように」
「病気がなおりますように」
「あの会社に就職できますように」
と、私たちは祈ります。
ところが、子どもは不合格、病気はなおらない、就職も行きたいところに行けなかった、ということはよくあることです。
「神も仏もあるものか」と言いたくなるのは、こういう時です。
ところが、実は、「求めること、捜すこと、戸を叩くこと」もたいせつですが、それに応じて与えられるものを謙虚に“いただく心”のほうがよりたいせつなのです。
激しく求めただけに、その求めたものが与えられなかった時の落胆、探しものを見つけられなかった時の失望には、計り知れないものがあります。
でも、そういう切なさ、つらさこそが、実は人間が成長してゆく上で「本当にたいせつなもの」「必要なもの」だったのだと、いつか必ず気づく日があるものです。
『どんな時でも人は笑顔になれる』PHP
ニューヨーク大学のリハビリテーション研究所の壁に一人の患者の残した詩があるという(本書より)。
「大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、
謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった。
より偉大なことができるように健康を求めたのに、
より良きことができるようにと病弱を与えられた。
幸せになろうとして富を求めたのに、
賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、
得意にならないようにと失敗を授かった。
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと生命を授かった。
求めたものは1つとして与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。
神の意に添わぬ者であるにもかかわらず、
心の中で言い表せないものは、すべて叶えられた。
私はあらゆる人の中で、最も豊かに祝福されたのだ」
J・ロジャー・ルーシーという神父が書いたものだそうだ。
森信三先生の言葉に、「人は、出会うべき人には必ず出会う。 しかも、一瞬遅からず、早からず」というものがある。
これは、「出合うべき人」になっているが、「出会うべきこと」と言いかえることもできる。
その人に必要なことは、必ずやってくる。
それも、一瞬遅からず、早からず。
まさに目の前に起こるできごとすべては、神の意思、あるいは、生まれる前に自分が書いたシナリオ。
どんなことが起きても、そこから謙虚に学ぶ人でありたい。 |
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