2017.3.18 |
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サイエンスの面ばかりが発達して、アートの面を忘れてしまう |
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日野原重明氏の心に響く言葉より…
カーライルは私にとって非常に精神的な恩人なのです。
というのは、戦後間もない頃、看護学生向きの解剖生理学の本がなかったので、私はそのテキストを書き下ろしたことがあります。
原稿用紙100枚の本文と、それから、解剖生理学だから筋肉とか骨とかの絵を自分で描きました。
線画で50枚ぐらいありました。
それらを徹夜徹夜で仕上げて出版社に渡して、ああよかったと思っていたら、2ヵ月ぐらいしてから原稿がないと言ってきたのです。
当時だからコピーなんてあるわけはなく、原稿を渡したらそれまでです。
私は「何たることぞ」と憤慨して、がっかりし、もうそのテキストを描き直すのはやめた、と周囲の者に言いました。
その時、父が、もう広島女学院の院長を定年で辞めて、上京して、私と一緒に住んでいたのですが、「重明、こんな話があるんだよ」と話してくれたのが、カーライルの大作、世界の名著といわれる『フランス大革命史』についての話です。
そのカーライルの原稿を、友人のJ・S・ミルが見せてくれと言って持ち帰った。
そうしたらそれを、書き損じの反故だと思ったミル家のお手伝いさんが、ストーブに入れて燃やしてしまったのです。
ミルの気持ちもカーライルの気持ちも想像できます。
心血を注いだ作品が灰になってしまったカーライルは、やっぱり「もうやめた」と思ったでしょう。
ところが、3、4日たって茫然自失がおさまると、カーライルは奥さんから、書かないで済むくらいなら初めから書く必要はなかったのではないかと言われました。
そして、「どうしても書こうと思ったから書いたんじゃないか。よし、もう一度書くぞ!」と言って再び著作にかかり、あの傑作をものにした、ということです。
父はその話をしてくれました。
そうして私を励ましてくれました。
私も、ナースの教科書が日本にない、必要だ、と思って情熱を持って書いたのだから、これしきのことに負けてはいられない、そう思って、すっかり立ち直って書き直しました。
父を通して、私はカーライルから多くのものを学んでいたので、それがオスラーによってまた、私の中に甦(よみがえ)ってきたわけです。
オスラーは非常に教養の深く、博識の人だったので、著書を見ても、シェイクスピアやゲーテ、モンテニュ、トマス・ブラウンやエマーソンは言うに及ばず、プラトンやアリストテレスなどの古典もいっぱい出てくる。
オスラーは弟子たちにも、医師を志すものは学生時代に医学書以外の本を多く読むように勧めたという話を、私はオスラーの直弟子だった人からじかに聞きました。
「医師が扱う仕事の三分の一は医学書には書いてないことだからだ」とオスラーは言っていたそうです。
オスラーは、「医学はサイエンスにもとづいたアートである」と言っています。
私もまさにその通りだと思います。
ところが近代になってからの医学は、サイエンスの面ばかりが発達して、医者の中にはアートの面を忘れてしまう者も出てきました。
アートを忘れてサイエンスに振り回されてしまうと、病む臓器ばかり見て、病む人間そのものに目がいかなくなってしまう。
病んでいるのは人間なのだから、その人間を癒すということを考えなくてはならない、と私は思うようになりました。
人間を大切に扱って、患者の心と体をケアするには、感性が大切なのです。
だから外国には、医学部の学生の半分を文科からとる医学校もある。
理科学的なものは医者にとって必要なものの半分にすぎないというわけです。
『(125)今日すべきことを精一杯! (ポプラ新書)』
この、「サイエンスの面ばかりが発達して、アートの面を忘れてしまう」というのは、医学の世界だけでなく、どの業種や業界でもいえることだ。
つまり「木を見て森を見ず 」の言葉のように、自分の専門領域や業界だけを見て、大きな流れを見失ってしまう状態。
大きな流れや変化は、すべてにおいて、人の心や感性が関係している。
アートとは、芸術のことだが、他にない独自の創造性や発想力のこと。
感性が鈍(にぶ)っていたら、創造性や発想力は発揮できない。
だからこそ、どの分野においても、人の心や人間関係のことがわからなければいけないのだ。
時代が進めば進むほど、心の時代になってくる。 |
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