2017.3.16 |
|
最後の神様 |
|
|
斎藤一人さんの心に響く言葉より…
「死神」というのがいます。
この死神というのは、なぜ「神」という字が付いているのだろう、という話です。
皆さんが思っているような、薄汚れた着物を着たり手にかまをもっていたり、あれは本当の死神ではありません。
あれは妖怪とか、もののけとか悪魔とか、そういうのと一緒にしています。
本当の死神とはいうのは神様なんです。
ひとつの天使と言ってもいいんです。
なぜかというと、人間は過去を引きずって生きています。
小さいとき失敗した、親に怒られた、いろんなことを引きずって生きています。
その引きずっている過去から切り離してくれるのが、実は最後の神様なんです。
これはどういうことですかというと、例えばあなたが、「一ヶ月の命だ」「今日一日の命ですよ」と言われたとします。
もし今日一日の命だとしたら、「行きたいところに行こう」それから愛する人に「お世話になりました」と言おうとか、そういうことになります。
死ということを考えると。
親もずっと生きていると思うんじゃなくて、いつ死んじゃうかわからないと思うと、「ご飯のひとつも食べさせたいな」「おすしでも食べさせたいな」「あんな貧しい中から自分のことを良く育ててくれたな」とか、いろんなことを思います。
それと、私は仕事をしていて、いつも死というものを考えます。
ひとたび死というものに会うと、どんな会社をつくり、どんな財産をつくり、どんなに土地を持っても一瞬にしてなくなります。
そうすると、人間って何をするべきなんだろう。
ただ、ただ、死を恐れるんじゃなくて、死というものがあるんだと考えただけで、そんなにごうつくばりみたいなことしなくたっていいんだ、今、幸せじゃないかと、それから、人が喜ぶ講演会でもやったほうがいいんじゃないか、と思います。
人は死というものを恐れて、毛嫌いして生きてたけど、それは悪魔がそう思わせるんです。
死神が取りついて自殺しちゃったとかというのもあるけど、それは寿命が来る前に勝手に死んだ人にとりつく「もののけ」か「悪魔」です。
人は、死んでまた生まれ変わり、何度も生まれ変わりするものだから、その迎えに来てくれる死というものを、怖いものだ怖いものだと思わせようとするのは悪魔の仕業なの。
それより、もしかしたら自分もいつ死ぬかわからない。
そして相手も、目の前にいる人も、いつ死ぬかわからない。
でも、いらいらしてガガガッと「おまえなんか大嫌いだ」と、ほんとうは愛している人に言っちゃうこともあるの。
でも、そのまま相手が死んじゃったら、あいつに何てことを言ったんだろうって、逆に言うと、自分が死んじゃったら、自分はすごく子どもやなんかを愛したのに、「ほんとはおまえなんか大嫌いだ」って言っちゃった。
その日に自分が死んじゃったら、自分は何て思うだろう。
そういうことを考えただけで、人はまともに愛の道に戻れるの。
『地球が天国になる話 (ロング新書)』KKロングセラーズ
『捨てて』
どんな大事なものでも
荷物はみんな捨ててください
自分のからだも捨てるんですよ
……三途(さんず)の川の番人のことば……
どんなに財産があろうが、いい車を持っていようが、また、どんなに美人であろうが、鍛えられた肉体であろうが、死んだらあの世に持ってはいけない。
この世に残していけるものは、人の心に残した言葉や、愛や、想いやあるいは、憎しみや悲しみだけ。
もし、明日この世を去るとしたら…
人を傷つけたり、悲しませることだけはしたくない。
毎日、感謝の気持ちで、愛ある言葉を発したい。 |
|