2017.2.13 |
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「私」を消し去ることができる人がリーダーになれる |
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高野登氏の心に響く言葉より…
自分の心を修めるとはすなわち、喜怒哀楽の感情を自分できちんとコントロールできるようになることです。
人間社会で起こるトラブル、人との間に起こるトラブルとは、つまるところ、自分の喜怒哀楽の感情を修められていないことにあると言っていいでしょう。
なかでも難しいのが、私利私欲への誘惑。
そして、嫉妬です。
以前お目にかかった、ある京都のご住職も、「死ぬまで自分の中に度しがたい思いが二つある。欲と嫉妬の念である」とおっしゃっていました。
たとえば、隣の寺の坊主が最近よくテレビに出ていて評判がいい、なんであいつが、と胸がざわざわするのだと、長い間修行を積んできた80歳を過ぎたお坊さんがおっしゃるのです。
だとすると、凡人である私たちには、それらを完全にコントロールすることなど到底無理なのかもしれません。
けれども、たとえ生涯無理であったとしても、それを修めていこうと意識していくことが、心を修めていく唯一の道だと思います。
宮本武蔵はいうまでもなく歴史に残る優れた剣豪でした。
しかしながら、かれはお城の城主になれたでしょうか?
おそらくなれなかったでしょう。
かれは、人並み外れたその腕を消し去ることをしていないからです。
多くの場合、優れた腕(知識やスキルなどのリソース)を持つことが、リーダーとなる人の最初の関門となります。
しかし、真に優れたリーダーとなっていくのは、その腕を消し去ることができる人ではないでしょうか。
昔、巨人軍を9連覇に導いた川上哲治という名監督がいました。
かれ自身、現役時代は、打撃の王様といわれた名選手でしたが、監督に就任したのちは、その打撃力をアピールすることはありませんでした。
現役選手としての最大の能力である打撃力、すなわち現場力を封印し、その気配を消し去ったのです。
現場の第一線で一流プレイヤーとして発揮する力と、リーダーとなるときに発揮すべき力は異なります。
そして、リーダーが自信の現場力を上手に消している組織には一体感があり、品格があります。
ホテル業界でもときどき、スーパープレイヤーというべきホテルマンが現れますが、かれらが組織をつくっていくケースは非常に少ない。
あるいは、日本にも世界ランキングに入るようなソムリエが何人もいますが、かれらが自分の会社をつくり発展させているという話はあまり聞きません。
それは、できないからではなく、やらないからです。
ずっとソムリエやホテルマンの世界で、現場で第一線に立ち続けることを選択しているからなのです。
でも、数名の人たちは、組織をつくり、自分の下に世界ランキングのソムリエやホテルマンを育てています。
つまり、役割りが違う、ということです。
どちらが優れているかとか、そういうことではまったくなく、どのような人生を自分が全うしたいと思っているか、ということです。
もし、どうしても「私」を消し去ることができないのなら、自分がもともとリーダーとなることを望んでいるわけではないと自覚すべきです。
それより生涯第一線で活躍し続けられるよう努力すべきです。
それもまた見事な一生となるでしょう。
一方、リーダーを目指す人は、自分を超える一流プレーヤーを育てるために、プレイヤーとしての自分の気配を消すべく努めるべきです。
「私」、すなわち、自分の優れた腕への賞賛、評価への欲を消し去ることに成功した人が優れたリーダーとなります。
『品格を磨く』ディスカヴァー
自分のことばかり考え、欲でギラギラして、しかも嫉妬深い人に品格を感じる人はいない。
品格のある人は、他人の成功を心から賞賛するような、自分のことより人のことを考える利他の心のある人だ。
『おれがおれがの「我」をおさえ、おかげおかげの「下」で生きよ』(田中真澄)
「我」が強い人は、リーダーになると問題が噴出する。
自分のことばかり考えるからだ。
『「私」を消し去ることができる人がリーダーになれる』
私を消し去り、おかげさまの気持ちで生きていきたい。 |
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