2017.1.22 |
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コンペイ糖のようにトンがれ |
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岡本太郎氏の心に響く言葉より…
《弱いなら、弱いままで進めば、勇気が出て来る》
憂鬱感や不安のない人間なんていやしない。
自分を大事にして、かばおう、うまくやろう、傷つきたくない、そう思うから不安になるんだ。
もし自分がヘマだったら“ああ、おれはヘマだな”と思えばいい。
もし弱い人間だったら“ああ弱いんだな”でいいじゃないか。
弱いからダメだとか、どうしてこう弱いんだろうと嘆いて、自分自身を責めることで慰め、ごまかしている奴が多いんだ。
そういうのは甘えだよ。
もっと平気で、自分自身と対決するんだ。
こんなに弱い、なら弱いまま、ありのままで進めば、逆に勇気が出てくるじゃないか。
《コンペイ糖のようにトンがれ》
どうも日本では、まるくなることばっかりを尊重するらしい。
「あの人は角がとれている」とか「練れている」ということが、ほめ言葉の味なものになっている。
どうもおもしろくない。
とくに、ほんとうに仕事をする芸術家の場合、対社会的にも、自分自身に対しても、ぜったいにコンペイ糖でなければダメだ。
仕事をしていて、いつも痛感するのだが…、だんだん調子がそろってくると、角がとれて、画面に充実した気分が出てくる。
抵抗がなくなってくる。
絵はいつでも安易に完成したがるんだよ。
ぼくは逆に、それを危機と見て、まとまってくる絵をぶち壊してやろうと頑張る。
そんなときは、自分で自分に喧嘩をふっかけるんだ。
コンペイ糖のようにトンがって、すでにできあがった自分自身とぎりぎりに対決する。
その緊張感が仕事を支える。
対社会の場でも、そうだ。
自分の立場や信念を純粋につらぬきとおし、独自な仕事を創造的に進めていこうとすれば、とうぜん、たいへんな無理解にぶつかる。
右から叩かれ、左からこづかれ、うしろから突きとばされる。
多くの作家はそういう抵抗に耐えかねて、無難な仕事のほうに逃げてしまう。
だれにでも肌ざわりのいいように、手ぎわよく作品をまとめ、ひたすらまるく。
そいういう作品は少しも本質的な矛盾をはらんでいず、退屈でやりきれない。
ぼくはそういう八方美人的態度を跳ねとばして、象徴的に、八方をがっかりさせるような態度をとり、満身に角を立てる。
『孤独がきみを強くする』興陽館
ITやIOT化が日に日に進化している現代において、人間にとって最も必要な能力は創造力だ。
近い将来、ほとんどの仕事がロボットに取ってかわられる。
そして、同時に多くの職業や職種がなくなる。
では、そんな時代に生き残るのはどんな人たちなのか。
それは、創造力の豊かな人。
なぜなら、ITやロボットに対抗できる唯一の能力が、この「創造力」だからだ。
創造力が最も必要な人は、芸術家。
芸術家は、誰かの作品をマネたとたんに、その人の芸術家としての生命は終わる。
つまり現代は、すべての職種において、この芸術家的センスや、芸術家的発想力が必要となってきたということ。
生き残るには…
「弱いなら弱いまま進み」、そして、
コンペイ糖のようにトンがることも必要だ。 |
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