2017.1.17 |
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困っても困らない |
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松下幸之助氏の心に響く言葉より…
《心配またよし》
何の心配もなく、何の憂(うれ)いもなく、何の恐れもないということになれば、この世の中はまことに安泰(あんたい)、きわめて結構なことであるが、実際はそうは問屋が卸さない。
人生つねに何かの心配があり、憂いがあり、恐れがある。
しかし本当は、それらのいわば人生の脅威ともいうべきものを懸命にそしてひたすらに乗り切って、刻々と事なきを得てゆくというところに、人間としての大きな生きがいをおぼえ、人生の深い味わいを感じるということが大事なのである。
この心がまえがなければ、この世の中はまことに呪(のろ)わしく、人生はただいたずらに暗黒ということになってしまう。
有事に直面しても、これを恐れてはならない。
しりごみしてはならない。
“心配またよし”である。
心配や憂いは新しくものを考えだす一つの転機ではないか、そう思い直して、正々堂々とこれと取り組む。
力をしぼる。
知恵をしぼる。
するとそこから必ず、思いもかけぬ新しいものが生み出されてくるのである。
新しい道がひらけてくるのである。
まことに不思議なことだが、この不思議さがあればこそ、人の世の味わいは限りもなく深いといえよう。
『道をひらく』PHP
松下幸之助氏はこう語る。
「人生には、困難なこと、難儀なこと、苦しいこと、つらいこと、いろいろとある。
そんなときに、どう考えるか、どう処置するか、それによって、その人の幸不幸、飛躍か後退かがきまるといえる。
困難を困難とせず、思いを新たに、決意をかたく歩めば、困難がかえって飛躍の土台石となるのである。
要は考え方である。
決意である。
困っても困らないことである」
「心配またよし」とは、困っても困らないことだ。
これは困難に対してだけでなく、うまくいっているときや順境のときも同じ。
困難のとき、愚痴をいったり、自暴自棄(じぼうじき)になってしまうのか。
逆に順境のとき、調子にのって威張ったり、謙虚さを忘れ鼻持ちならなくなってしまうのか。
どちらになっても、淡々と素直に謙虚に処するだけ。
要はとらえ方しだい、見方しだい。
つまり、「順境よし、困難またよし」。
困っても困らない人でありたい。 |
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