2017.1.16 |
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すべては私を磨くため |
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小林正観さんの心に響く言葉より…
《すべての日常生活は“私”を磨くための砥石(といし)なのです》
私は親子関係や夫婦関係で相談を受けるとき、よく「砥石」という言葉を使います。
砥石とは刃物を磨く石のことです。
魂を磨くための砥石は3つあります。
ひとつは「家族と家庭」。
結婚とは、「夫という名の砥石」「妻という名の砥石」を手に入れたということではないでしょうか。
夫婦という名の共同生活は、食べ物の甘い辛い、気温の暑い寒いなど、一つひとつ折り合いをつけることにほかなりません。
なかなか思い通りにならない子どもも「砥石」です。
次は「仕事」。
どんなときにも怒らない、イライラしないということを求められて魂は磨かれます。
最後に、「他のすべての人間関係、交友関係」。
日常生活のすべてが「“私”を磨くための砥石」なのです。
「怒ってもいい状況」も「怒らせる人」も存在せず、折り合いをつけるべき状況や相手がいるだけ。
それなのに怒って解決する道を自ら選んでしまっているのかもしれません。
私たちはすべての日常生活で、「いかにイライラしないか、笑顔でいられるか」を問われています。
『宇宙も神様もぜんぶ味方につける習慣』宝島社
池波正太郎氏の素敵な言葉がある。
『男は何で自分を磨くか。
基本は「人間は死ぬ…」という、この簡明な事実をできるだけ若いころから意識することにある。
もう、そのことに尽きるといってもいい。
何かにつけてそのことを、ふっと思うだけで違ってくるんだよ。
自分の人生が有限のものであり、残りはどれだけあるか、こればかりは神様でなきゃわからない。
そう思えばどんなことに対してもおのずから目の色が変わってくる。
そうなってくると、自分のまわりのすべてのものが、自分をみがくための「みがき砂」だということがわかる』
(男の作法・新潮文庫)より
生まれ変わりがあると信じるなら、この世に生まれてきた目的はただ一つ。
現世において、少しでもましな人間になってあの世に旅立つこと。
生きている間に、まわりの人にどれだけ喜んでもらえたか。
あなたがいてくれて良かった、という人を少しでも多くつくる事。
砥石やみがき砂はそのためにある。
すべては私を磨くため、と思い定めて生きていきたい。 |
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