2016.9.29 |
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許し合い、正し合う |
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松下幸之助氏の心に響く言葉より…
私が家内と二人で商売を始めてしばらくしたころのことです。
当時は商売がすこし順調に進んできたところで、朝から晩まではり切って一生懸命に働いておりました。
ところが、そのうちに従業員がふえてきて、7、80人になってきましたが、その中に一人悪いことをする人がいたのです。
それは非常に信頼していた店員の一人でしたが、ちょっと会社のものをごまかしたというわけです。
私は生来、潔癖症というか多少神経質の点もありまして、非常に悩んだのです。
“困ったことやな。あの男がそういうことをするとは思わなかったけれども、いったいこれからどうしたものだろうか”
と、その夜は一晩寝られずに朝まで悶々(もんもん)として悩んでいました。
“なるほど、彼は悪いことをした。だから当然のこととしてやめさせるのも一つの方法だ。しかしやめさせるにしても、そのことがよかれあしかれ周囲の者にいろいろな形で影響してくるだろうし、それがほんとうに会社のため、また本人のためになるのかどうか”と、あれこれ考えさせられたわけです。
ところが、つづいて翌日の晩も考えているうちに、ふと心に浮かんだことがありました。
それはこの日本にいわゆる罪人と言う人が何人いるだろうかということです。
これは相当あるにちがいない、と考えました。
刑が決定して監獄に服役している人も多いですし、未決で裁判中の人も相当あります。
またそういう裁判沙汰(ざた)になっていなくても、軽犯罪的なものもあります。
警察で説諭して釈放されるとかいうような軽犯罪もあれば、一方では警察につかまらないが、悪いことをしている人も大ぜいいます。
したがって、私どもの会社に日本人が7、80人いれば、1人以上は悪人とまではいかないまでも、よくないことをするという人が出てきてもふしぎではないと気がついたのです。
そうしてみると7、80人の人を使っているようなところに、一人や二人は軽犯罪をするような人も含んで使わなければいけないのではないかと、そいう考えが生まれてきたのです。
そうすると、自分の心がふしぎにフーッと楽になったのです。
肩の荷が下りた感じでした。
それで本人にはこれからは二度とそういうことはやめさせることにして、訓戒だけにしてしておくことにしたわけです。
そのことがあってから私は、非常に大胆に人を使えるようになりました。
大胆に人を使うことは、一面にはその人たちを信頼するということに結びつきます。
信頼された人たちは、いっそうはり切って自主的に働くようになりますから、それぞれの知恵もますます生きてきて、会社の経営もさらに順調にいくようになったというのが、私の一つの体験なのです。
そういう場合でも、基本的にはすべての人を生かしていくのだ、この社会に生きる人びとをともどもに生かしていくのが相寄って生きる人間としてのつとめなのだという、豊かな心をつねに養っていることがきわめて大事だと思います。
お互いにあやまちを許し合い、また温かく正し合うというところに、豊かな人間味と共同の幸せが生まれてきますし、また自分が人びとを許す心をもってはじめて、自分も人びとに許されるということになってくるのではないでしょうか。
《人間としての成功》
『すべてがうまくいく』PHP研究所
会社の中に罪人がいてもいい、という話ではない。
「ゆるし」の気持ちがあるのかどうか、ということだ。
ことの大小は別にして、生きている上において、あやまちを犯さなかった人はいない。
何らかの罪を日々犯しながら生きているのが人間だ。
ただし、大方の人はそれが犯罪までいくことはないのも事実。
あやまちを許せば、それが信頼に結びつく。
許し合い、正し合う姿勢が人間味をつくる。 |
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