2016.7.24 |
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お互いに敬意を持って接する |
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レス・ギブリン氏の心に響く言葉より…
人間関係に関するかぎり、相手の自尊心を傷つけることはご法度(はっと)だ。
相手の人間としての尊厳を踏みにじったら、いずれいやな目にあわされる。
人々は自尊心についてとてもデリケートで、自尊心を傷つけられると非常手段に訴えるおそれがあることを肝に銘じよう。
すべての人は自分の自尊心を大切にしてほしいと願い、それを傷つける人を敵とみなす。
だから、他人を機械やロボットのように扱ってはいけない。
そんなことをすると、相手はそっぽを向いてしまう。
実業家のヘンリー・カイザーは「すべての人を大切に扱えば、必ずよい人間関係を築くことができる」と言っている。
これは当たり前のことだが、非常に含蓄のある言葉だ。
1.すべての人は程度の差こそあれ自分本位である。
2.すべての人は自分に最も強い関心を抱いている。
3.すべての人は自分が重要だと感じたがっている。
4.すべての人は他人に認められたいと思っている。
すべての人は自分の自尊心を満たしてほしいと強く思っている。
その願望がある程度満たされて初めて、人々は自分のことを「忘れ」、他人に意識を向けることができる。
また、自分が好きになって初めて、人々は他人に対して友好的になることができる。
第一次世界大戦中に兵士が「おい、そこのお前、マッチを消せ」と怒鳴りつけたところ、相手は名将として知られるパーシング将軍だった。
兵士がしどろもどろになって謝罪しようとすると、将軍は彼の肩を軽くたたきながら「若者よ、ささいなことを気にする必要はない」と言った。
名将ともなると、一兵卒の不用意な発言ぐらいでは自信が揺るがないのだ。
しかし、自尊心が低いと摩擦やトラブルが頻発する。
自尊心がさらに低くなると、ささいなことでも動揺しやすい。
自分が話している最中に居眠りをしたという理由で相手の女性を絞め殺した男性がその典型だ。
もし彼の自尊心が満たされていれば、相手の侮辱的な行為はさほど大きな意味を持たなかっただろう。
他人をこき下ろす傲慢な人も、低い自尊心のために苦しんでいる。
こういう人の行動を理解するには、ふたつのことを知っておく必要がある。
ひとつは、自分の重要感を高めようとして他人をこき下ろしていること。
もうひとつは、誰かに少し批判されただけで、すでに低い自尊心が崩壊するのを恐れていること。
こういう人はいつも心の中でびくびくしながら他人と接している。
自尊心を傷つけられるという不安に耐えられないので、他人にやられる前に相手を攻撃することもある。
気難しい人に対処する効果的な方法は、たったひとつしかない。
その人が自分自身をより好きになるのを手伝うことだ。
傷ついた自尊心を癒すのを手伝えば、相手はおとなしくなって突っかかってこなくなる。
心のこもったほめ言葉をかけて相手の自尊心を満たせば、気難しい人に対して大きな効果を発揮する(普通の人に対して効果があることは言うまでもない)。
『人望が集まる人の考え方』ディスカヴァー
自尊心と自己重要感は同じような意味を持っている。
ひらたく言えば、「自信」があるかどうかだ。
自信がある人は、ささいなことでは怒ったり、ムキになったりしない。
余裕のある人、でもある。
心の中に、ほめ言葉という「愛」(幸せ・感謝・喜び・楽しさ)がたまっていけば、自分の自己重要感も高まってくる。
自己重要感が空っぽでは、人に「愛」を与えることはできない。
「すべての人を大切に扱えば、必ずよい人間関係を築くことができる」
だれに対しても、お互いに敬意を持って接する人でありたい。 |
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