2016.7.2 |
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自分の名前を大切に |
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竹田恒泰氏の心に響く言葉より…
忘れもしない、ある晩のことである。
私は食堂の大きな机に着いて、祖父の前で学校の宿題をしていた。
私が提出する宿題に、自分の名前を汚い字で殴り書きするのを目にした祖父は、平手を机に叩きつけて立ち上がり、宿題の紙をずたずたに破り捨てて、耳を劈(つんざ)くほどの大声で怒鳴った。
「自分の名前を粗末にするな!」
祖父の突然の剣幕に恐れおののく幼い私をよそに、祖父は自分の部屋に行ってしまった。
それを見ていた祖母が、わなわなと震える私に優しく声をかけてくれたのだった。
「ぐすん、ぐすん」と泣く私に、字が汚いから怒られたのではなく、名前を粗末にしたから怒られたということを教えてくれた。
そして「竹田」というのは明治天皇から賜ったもので、「恒泰(つねやす)」という名は祖父が付けてくれたことを初めて聞かされた。
母から聞いた話によると、私の名前の「恒泰」は、私の父母が相談しながら候補を挙げ、最後に三つに絞り、その中から祖父が一つを選んだというのだ。
また「恒泰」は父の命名の時の候補にも挙がっていたらしい。
祖父は「自分に誇りを持て、家に誇りを持て、先祖に誇りを持て、そして皇室と日本に誇りを持て」と言いたかったのだと思う。
それでも、祖父があれほど怒った本当の理由を知ったのは、祖父が亡くなってからのことである。
社会人になってから、大切にすべきは、自分の名ばかりではないことを知った。
人には必ず名前があって、それぞれに思いが込められている。
だから、人様の名前を書き間違えたり言い間違えたりすることはあってはならないことであり、名刺は丁寧に扱わなければならないことが分かった。
手紙の宛名を丁寧に書くのも同じことである。
以来、私は自分の名前を粗末に書いたことは一度もない。
もしあの時、祖父の怒りに触れていなければ、あのまま、名前を大切にしない大人になっていたことだろう。
怒鳴られずに、宿題のプリントを破り捨てられずに、ただ優しい言葉だけで説明されても、きっと骨身に染みることはなかったと思う。
そして二十年以上の時が流れた平成十七年、三十歳になった私は、最初の著書を上梓(じょうし)すると、本にサインを求められるようになった。
普通サインといえば、殴り書きをするものだが、私にはどうしてもそれができなかった。
そこで、考えた末に「竹田恒泰」を、隷書という古い書体を用いて、四文字を密着させてあたかも一つの漢字であるかのようなデザインにして、それを自分のサインにした。
かっちり書くので、かなり時間が掛かるが、名前を大切にする姿勢が少しでも伝わればと思って、それを今でも続けている。
『日本の礼儀作法~宮家のおしえ~』マガジンハウス
人の名前には両親の想いがこもっている。
親は誰でも子どもが生まれたとき、子どもの幸せや健康を願い、そして、どんな人間になって欲しいかとそれを名前にこめる。
「名は体を表す」という言葉がある。
名前は、その人の性質や実体を表すもの。
一生のうち、繰り返し呼ばれるのが自分の名前。
名前はその人の脳に深く刻み込まれ、やがていつか名前の意味の通りの人間となる。
言霊(ことだま)と同じだ。
昨今は、芸能人やスポーツ選手のように、自分の名前を書くときサインのような書体で書く人は多い。
自分の名前を粗末に書けば、自分を粗末にすることになる。
自分の名前を丁寧に大切に書けば、自分を大切にすることになる。
自分と祖先そして日本に生まれたことを大切にし、誇りに思うために…
自分の名前を丁寧に書く習慣をつけたい。 |
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