2016.6.30 |
|
栄光浴という言葉 |
|
伊藤由美氏の心に響く言葉より…
『栄光浴(えいこうよく)』という言葉があります。
「欲」ではなく「浴」。
社会的に評価の高い他者とのつながりを強調することで自分の印象や評価を高めようとすること、だそうです。
「オレが勤めている会社は、業界内では超一流企業なんだぜ(だから、そこにいるオレもすごいだろう)」
「いとこがファッションモデルやっていて、有名なデザイナーのショーにもよく出ているんだ(そんな親戚がいる私ってすごいでしょう)」…という具合です。
つまり、その人がいちばん言いたいのは、言葉になっていない「すごい」というフレーズなんですね。
有名人や芸能人と知り合いだとか、交流があるとか、そういうことを声高にひけらかす人の心理は、ほとんどがこの「栄光浴」と言っていいでしょう。
「今、仕事でタレントの○○と週イチで会っているんだよ」
「私の行っている美容院に女優の○○も来ていて、私と担当者が一緒なの」
…こんな自慢には「すごい」「羨ましい」と思われたい気持ちが潜んでいます。
でも現実はなかなか思うようにはいきません。
周囲の人は、むしろ「へぇ、そうなんだ」「だから?」「それでどうしたの?」くらいにしか思っていないものですよ。
栄光浴という心理行動は、自分に自信がないために他人の成し遂げた栄光の力を借りて、自分を大きく見せようという都合のいい発想です。
そして栄光浴が強い人、栄光浴に感化されやすい人のことを、世間では「ミーハー」と呼ぶわけです。
また、栄光浴の対象となるのは芸能人や著名人だけではありません。
例えば、「高級ブランド品をたくさん持っている自分はセレブだ」「フェラーリに乗っている自分は成功者だ」「六本木ヒルズに住んでいる自分はすごい人間だ」といった考え方も栄光浴に該当します。
つまり、ブランド品や高級外車、高級マンションという栄光の力を借りているわけです。
栄光浴とは、「人のふんどし」で相撲を取ろうとするようなもの。
本当にデキる人は、他人の威を借りずに、堂々と自分のふんどしで勝負するものですよ。
『粋な人、無粋な人/自分では気づかない恥ずかしいこと』ぱる出版
人間は、「自分を認めてもらいたい」、「ほめてもらいたい」と渇望(かつぼう)する生き物だという。
しかし、それが行き過ぎると、自分を少しでも大きくみせようとしてしまう。
「栄光浴」もその一つ。
「無名有力」という言葉がある。
マスコミにも出ないし、まったくの無名ではあるが、しかし人やまわりを動かすことができる真の実力を持っているということ。
この反対が、「有名無力」。
有名であるが、全く力がないし、影響力が少しもない。
本当に魅力のある人は、「無名有力」な人。
無名有力な人は粋だ。
栄光浴を戒め、粋に生きたい。 |
|
|