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2016.6.21

よみがえれ、バサラの精神

会田雄次氏の心に響く言葉より…

なぜ、乱世の戦国の世から突如として豪華絢爛たる伏見桃山の文物が生まれたのか。

暗く冷たく閉鎖的な鎌倉時代の武士が、この時代、同じ武士のくせに、明るく陽気で開放的な性格に一変したのか。

狩野派の画師は天井まで突き抜けるような途方もない構想をもった花鳥障画を描いているが、その構想は注文主である秀吉をのぞいては生まれなかったろう。

なぜ貧しい百姓に生れ、美的教養を積む余裕などもてなかった秀吉に、そんなことができたのか。

うまれついての資質とだけでは説明できない。

その基盤は、南北朝の動乱以来の下剋上の雰囲気が農民にまで浸透して、誰もかれもがこの時代、いわゆる「バサラ」気分を共有していたことだろう。

バサラとは金剛童子のもつ武器“バージラ”よりきたもの。

実力と合理性を欠く旧来の権威の一切を否定、伝統による拘束を拝し、思いのままに行動し、財のあるものは財、能力者はその能力のすべてを散じ尽くして生きようという精神である。

南北朝の佐々木道誉、高師を代表者とする、このいわば「モノ狂ヒ」の精神は、時代とともに武将、武士と拡大し、民百姓まで及ぶに至った。

「何せうぞ、くすんで、一期は夢よ、ただ狂へ」(閑吟集)。

信長はその代表的継承者であり、秀吉らはその強い影響を受けつつ、戦い成長してきたのである。

このバサラ精神展開の基盤には、南北朝から戦国へかけての農業生産の躍進、日本最初の高度成長がある。

下剋上はそこから生まれた。

戦国乱世はそいう活気に満ちた乱世だったのだ。

戦後日本は高度成長を果たしながら、国民精神はこのような闊達さをもたなかった。

富の蓄積は小ずるさしか生まなかった。

社会の雰囲気がチマチマしているところでは、チマチマしたリーダーしか生まない。

チマチマした芸術家、学者、つまりはチマチマした文化しか生まないのである。

これを改めるには、まずは旧来のチマチマした旧指導者たちに後ろに下がってもらうことだ。

大衆のつつましい要求、実はいやしいたかり根性だけをいい立てる世論のリーダーたちにも退いてもらう必要もあろう。

次には嫉妬心と模倣、隣り百姓根性だけで生きてきた日本人を、何とか創造的であるかどうかで競争させることだろう。

日本人大衆は、優れたものを評価する能力はあるのであり、それを抑え、嫉妬心で導こうとしているのが古いリーダーたちなのである。

かつて司馬遼太郎氏が、日本人の一番悪いところは「日本人だから、これくらいでいいだろう」とすぐ考えることだ、といっていたが、建物を造るにせよ何にせよ、私たちが最初に脱しなければならぬのは、このいじけた精神であろう。

「バサラよ、もう一度」と私が願うのはそのためだ。

人間、分際をわきまえぬ所業もそうだが、その逆の、分を知りすぎるというのもまた、本当に「困ったこと」だからでもある。

『よみがえれ、バサラの精神―今、何が、日本人には必要なのか? (PHP文庫)』PHP文庫


現代ほど、社会の変化が急な時代はない。

10年もたたないうちに、現在ある職業の半分はなくなってしまっているかもしれない、という時代なのだ。

それは、いうまでもなく、ITやIOT、AIなどの技術が急速に進化し、変化しているからだ。

変化が急な時代は、流行っているところの模倣であったり、現状の踏襲しか策がないのなら、確実に市場から退場の憂き目にあう。

常に変化のほうが先行するからだ。

今までにないサービス、製品、コンセプト。

創造性を発揮しなければ生き残れない。

「何せうぞ、くすんで、一期は夢よ、ただ狂へ」

今こそ、バサラの精神が必要だ。



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