2016.5.28 |
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繰り返される暗示の力 |
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宇野千代氏の心に響く言葉より…
《言葉が言葉を引き出す。前の言葉があとの言葉も引き出す。その自分の言葉でもっと亢奮(こうふん)したり、腹を立てたり、もっと情深くなったりする。言葉がさきに立って感情を支配する》
それにしても、現代人は何て確信することが下手なのだろう。
或いは疑うことが好きなのだろう。
朝から晩まで、自分の体のことを疑ってばかりいる。
疑って、びくびくしてばかりいる。
まア、見てごらんなさい。
年配になった男女が集まると、判コで押したように病気の話ばかりする。
自分の体の状況を、あれこれとそれは詳しく述べ立てる。
一体、自分の病気の話をしてどうなるのか。
人の病気の話を聞いてどうなるのか。
人の病気の話を聞いて、それで愉(たの)しいとしたら異常である。
私は出来るだけ自分の体の具合の悪いことは人には話さない。
これは自分の身の上話を人にしないのと同じ心理である。
自分の体の具合を人に話すことによって、可厭(いや)でももう一度、はっきりと、自分の体の具合の悪いことを、心に思い浮かべる。
これが可厭なのである。
もう一つ、自分の体の具合の悪いのは、自分で知ってるだけでたくさんである。
他人に聞かせて、他人にまで可厭な気持にさせるのは失礼ではないか。
悪い話は、それが自分の体のことでも、決して口には出さない。
「ああ、くたびれた」「頭が痛い」「何だか風邪をひいたようだ」「腹が痛い、胃潰瘍(いかいよう)じゃないか」などとは決して言わない。
これも私の積極的養生法の一つである。
その代わり、好い話は会う人ごとに自慢する。
「私は風邪もひかないし、便秘も下痢もしないし、つまり、いつでも健康体の平均状態なんです」とか、「私は今年の秋で満72歳になるんですけど、何て言うか、体中に若い頃と同じような活力があるみたい。だから、72歳が自慢なんです」などと平気で言う。
この自分の言葉は、もう一ぺん自分の中に戻って来て、そうだ、確かに若い頃と同じ気持ちだなア、と思うのである。
つまり、自分の言葉で、繰り返し自分に暗示を与えるのである。
この繰り返される暗示くらい、魔法のような力を持つものはない。
『幸福は幸福を呼ぶ―人生の叡知235篇 (集英社文庫)』
中村天風師はこう語る。
「実際人間が日々便利に使っている言葉ほど、実在意識の態度を決定するうえに、直接に強烈な暗示力をもつものはない」
そして、天風師は、夜の寝がけに、嘘でもいいから「俺は優れた人間だ」「俺は思いやりのある人間だ」「俺は腹の立たない人間だ」「俺は憎めない人間だ」「俺は焼きもちを焼かない人間だ」と思うことだ、と言う。
昼間も、自分独自の暗示の言葉をつくっておくといい。
何かあったときにも、これらの言葉を唱えてみる。
「絶対大丈夫」「必ずなんとかなる」「必ずできる」「うまくいってる」「良き事がどんどん起こる」「ツイてる!」等々。
自己暗示の力は魔法。 |
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