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2016.5.15

見すぎないように見る

ひろさちや氏の心に響く言葉より…

ものを見るという意味の字には「察」があります。

「明極まれば則ち察に過ぎて疑い多し」

これは朱子学について書かれた『近思録』という本にある一文です。

「察」というのは、細かなところまでつぶさに見ることを意味しています。

警察の「察」です。

「明」のほうはうすらぼんやり見る。

だから、人の欠点だとか、嫌なところまではあまり見ません。

一方「察」は、目をぱっと開けて見ます。

これは仏像でいえば明王です。

不動明王は仏教界の警察官のような役割を果たしています。

人の欠点を細かに見て、コラッと縛って、指導していく。

だから、不動明王は剣を持ち、羂索(けんさく)という縄を持っています。

不動明王の目は、如来や菩薩の像に比べると大きく見開いていて、まさに「察」の状態なのです。

「明」はそれほど開いてはいません。

この頃合いが難しい。

目をつぶってしまえば、見えなくなる。

見るのだけれど、あまりつぶさには見ない。

座禅のときの目の状態です。

見すぎないように見るのです。

禅語に「莫妄想(まくもうぞう)」という言葉があります。

「莫」は「〜するな」という意味です。

妄想を抱くな、ということ。

妄想は、現在使われているような意味ではなく、「わからないことまで考えてしまう」ことを指しています。

無駄な想像をしてしまうことが妄想。

「莫妄想」を言い換えれば「くだらんことを考えるな」となります。

「明」の状態で、半眼でものを見ると、余計な情報はシャットアウトされます。

適切な情報量だけが入る。

そうすれば物事があきらかになります。

これが「あきらめる」です。

家が火事にあった。

焼かれたとなれば、その原因をどんどん探してしまうでしょう。

誰がやったのか? 何のために? 火元は? と、「察」の見方をしていくと、途端に情報量が増えていきます。

まだわかないことまで、「推察」するようになります。

妄想が出てくる。

まさにこれこそ「警察」ですね。

半眼くらいにしておけば、焼け落ちた事実だけを見ることができます。

「ただ焼けた」とあきらめることができるのです。


『人生はあきらめるとうまくいく』幻冬舎


ひろさちや氏はこう語る(同書より)。

「みなさんは『あきらめる』ことをせず、『がんばる』側、一方向のハウツーばかりを求め、苦しんでいます。

リストラされたなら、そのなかで、楽しく生きる工夫をこらす。

大学に落ちたなら、楽しい浪人生活を送ることを考える。

世間の基準にあわせて焦ってはいけません。

今ここで自分が楽しく、のんびり、ゆったり生きる工夫をしましょう」

「あきらめる」の反対は「がんばる」。

何か大きなトラブルや問題があったとき、その原因をいくら詮索しても(がんばっても)、今となってはもはやどうにもならない。

過去は変えられないし、未来は分からない。

物事を「察」の状態で細かく詮索すれば、嫌なことが見える。

重箱の隅をつつくのと同じだ。

逆に、物事を半眼くらいでボーっと見ることができれば、のんびり、ゆったり、楽しく生きることができる。

人生は、見すぎないように見ると、楽しく生きられる。



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