2016.4.9 |
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運は遠いところからやってくる |
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萩本欽一氏の心に響く言葉より…
運の神様に好かれるコツって、ちっとも難しいことじゃありません。
たとえば人間関係で言えば、「威張らない」「気をつかう」「親切にする」、たったこれぐらい。
とっても、「な〜んだ、簡単だ」と思って今目の前にいる人にやさしくしても、すぐに運がやってくるわけじゃない。
運は直接やってくるものではないし、手の届くところに落ちているものでもないんです。
困っている人を助けるために募金箱に1000円を入れたら、その帰りに1万円拾っちゃったって話、あんまり聞かないでしょう?
じゃあ、運の神様はなにを見ているか…。
楽しいときもつらいときも人に対してやさしく接している人は、だんだん「顔」がやさしくなってくる。
運の神様は、そこを見ているんです。
もちろん逆の例も同じ。
たとえば自分だけが得をしようと思ってずるいことをしたり、人をいじめたりしても、すぐに不運がやってくるわけじゃない。
ずるやいじめをくり返していると、顔にそれが出ちゃいます。
顔のつくりがいくら整っていても、意地悪そうな目つきや表情が隠せなくなる。
それで人がだんだん近づいてこなくなったり、友だちがいなくなったりするんです。
運はいつも遠いところからやってきます。
「運」という漢字にはシンニュウがついているでしょ?
シンニュウは道という意味だから、運は遠くから運ばれてくる。
だから、ふだんの生活でも、「遠い」という言葉をキーワードにしていると、運の神様は「おっ、わかってるな」と思ってくれます。
たとえば、たまにお詣りをしたときにお寺や神社でお賽銭(さいせん)をあげて、自分の夢を神様にお願いするのって近すぎ。
神様と直接取り引きしようとしてない?
そもそもお金を先にあげてなにかお願いするのって、どんな神様に対しても失礼だよね。
その神様を信じるなら、ふだんからお詣りをしたり、境内のごみを拾っていればいいの。
たとえ毎回はお賽銭があげられなくても、神様は「なかなか心がけがいいな」って好意を持ってくれます。
できればお願いすることも、自分以外の人のことがいいんです。
自分の両親や子ども、あるいは被災地の人や、戦地の人を幸せにしてほしいとか。
ほかの人の幸せを願っていると神様は喜ぶんです。
仕事のやり方そのものにも「遠い」「近い」はあります。
「焦り」や「驕(おご)り」があると、なにごとも「近い」になっちゃう。
僕もそれでさんざん失敗しました。
20代の頃、浅草の舞台からテレビに呼ばれて「すぐにでもスターになれる」と思ったのが間違いのもと。
CMの生放送で19回失敗して、浅草へ戻ることになっちゃった。
出鼻をガツンと挫(くじ)かれたんです。
このあと僕はコメディアンの先輩から熱海の仕事を紹介されて、2ヶ月間東京を離れました。
熱海のホテルに住み込んで、毎日一人でショーをやってたんです。
東京生まれの僕が熱海で住み込みって、距離的に遠いでしょ。
つらいことがあったときは、こんなふうに一度遠くへ行ってみるっていういのも運にはいいんです。
僕の場合、この熱海の環境がよかった。
ショーは一日一回だから、あとは温泉に浸かったり、部屋から海を眺めていました。
海って実にいいですよ。
波が押し寄せてきて、また静かに引いていく。
ああ〜、僕も今、この波のように引いている時期なんだなぁ、と思って見ていると、また力強く波が押し寄せる。
そうか、この波みたいにもう一回出発すればいいんだ。
次も失敗したら、またす〜っと引けばいいだけだな。
なんて、気持ちが前に向いてくると、コントのアイデアがいろいろ浮かんできたんです。
それですっごく気分よく、「浅草に戻ってまたやり直そう」って思えたんです。
『続・ダメなときほど運はたまる (廣済堂新書)』
「損と得とあらば損の道をゆくこと」
と言ったのは、ダスキンの創業者、鈴木清一氏。
損得や効率を考えて動くのではなく、相手の喜びや幸せを考えて動くこと。
あえて、面倒で煩(わずら)わしくて、効率の悪い道を選ぶこと。
目先の利益に目がくらみ、その場だけよければいいと、効率を重視し、手抜きをするのが「近い道」。
一攫(いっかく)千金を狙う道でもある。
すぐに利益には結びつかないが、本質的によくなることを考え、あえて面倒な道を選ぶのが「遠い道」。
「近い道」は覇道。
「遠い道」は王道。
覇道とは、努力少なくして、「利」多い道。
王道とは、努力多くして、「利」少ない道。
「運は遠いところからやってくる」
努力多くして、「利」の少ない王道を歩みたい。 |
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