2016.4.5 |
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はしゃぎ過ぎない |
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鍵山秀三郎氏の心に響く言葉より…
子どもの成長は親にとって嬉しいものです。
その喜びを多くの人にお知らせしたいという気持ちはわかります。
しかし、その成長の記録を一方的に他人へ発信するのはいかがなものかと思います。
届けられるハガキのなかには、子どもさんの成長の記録だけがかかれた内容のものもあります。
文面から、子どもの成長を喜んでおられる光景が伝わってきます。
こうした内容のハガキはけっして悪いことではありませんが、受け取ってありがたいものでもありません。
そういうことは、身内で喜び合う類のことではないかと思うからです。
私はこれまで、子どもの結婚式でさえ身内だけでおこなってきました。
いえ、結婚式だけではありません。
他の祝いごとも、静かに質素におこなうようにしてきました。
また、身内の入院や葬式も同じようにおこなってきました。
身内の祝いごとや弔(とむら)いごとで、他人様(ひとさま)にご迷惑をおかけしたくなかったからです。
祝いごとにしろ弔いごとにしろ、高ぶる気持ちを一方的に聞かされて気分がよい人はいません。
たいがいの人からは、迷惑がられるのではないかと思います。
たとえ高ぶっても、はしゃぎ過ぎないことです。
『困難にも感謝する』PHP
「はしゃぐ」とは、調子づいて浮かれさわぐことを言う。
幼い子どもが調子にのってふざけてしまう状態だ。
つまり、ちゃんとした大人がとったら恥ずかしい行動をさす。
昨今は、身内だけで喜び合えばよいことを、SNSやFacebook等を使って発信する人は多い。
これも、まわりから見れば、はしゃいでいるように見える。
剣道の試合では相手から一本とったあとにガッツポーズをすると、一本取り消しになる。
負けた相手にも敬意を表するという、礼節を重んじる理念からきている。
本来の武道には敗者へのいたわりの気持ち、「惻隠の情」がある。
はしゃぐ時には、高ぶる気持ちがある。
高ぶるには、「驕(おご)り高ぶり」という言葉にもあるように、驕る、得意になる、分をわきまえない、思い上がる、図に乗ると言った意味も持つ。
たとえ高ぶっても、はしゃぎ過ぎないことを心がけたい。 |
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