2016.3.16 |
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出処進退の美学 |
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伊藤肇氏の心に響く言葉より…
「東洋人物学では『出処進退(しゅっしょしんたい)』と『応対辞令』とが、人物を見る二つの柱となっている」と安岡先生から教わった。
「出処進退」では、特に「退」が重視される。
「退」には、ごまかしのない人間がそのままでるからである。
女々しい奴は、いつまでもポストに恋々(れんれん)とするし、智慧(ちえ)があって、男らしい奴は最盛期にさらりと退く。
経団連名誉会長だった石坂泰三さんが、『菜根譚』の「事ヲ謝スルニハ常ニ正盛ノ時ニ謝スベシ、身ヲ居(お)クハ宜(よろ)シク独後ノ地ニ居クベシ」(隠居するなら惜しまれるうちに。隠居の身を置くなら、他人の邪魔にならぬところに」を座右とし、「財界鞍馬天狗」の異名を奉られる中山素平さんが、「責任者は出処進退に特に厳しさを要する。というよりも、出処進退に特に厳しさを存するほどの人が責任者になるべきだ」といいきっているのも、この間の事情をさしている。
「退」に人間の出来、不出来がはっきりと出るのは、二つの作業をやらねばならぬからだ。
第一は「よき後継者を選ぶ」作業である。
これがなかなか難しい。
つまり、企業において、自分がいなくても、仕事がまわっていくようにすることであり、己を無にする作業である。
第二は「仕事に対する執着を断ちきる」作業である。
仕事を離れてみて、仕事が自分の人生にどんなウエイトをもっていたかがよくわかる。
昨日まで、自分の生活の基礎をなしていた職場への愛着、そして、仕事にまつわる苦心談や滑稽な思い出がしきりと胸中に去来する。
いかにも沢山の仕事をしてきたようにみえても、それがそのまま、自分の生きたあかしとはなり得ないことに気がつく。
挙句のはては、自分ひとりだけがとり残されたような、穴の底深く落ち込んでしまったような空漠感にさいなまれる。
それを克服する作業は、口でいうほど、生やさしくはない。
坂本勝さん(故人)が兵庫県知事を辞するときの台詞(せりふ)は、未だに語り草となっている。
「すべての仕事というものは、はじめなく、終わりなきものだ。
種まくもの、咲きでる花を賞でるもの、結実を祝うもの、みなそれぞれのめぐりあわせというものだ。
自分の播いた種が稔るのをみたいのは人情だけれども、それはいわば小乗論である。
中国の詩人、謝眺(しゃちょう)の歌うらく、
大江 日夜流ル
客心 悲シミ未ダ尽キズ
歴史の大江に、かげろうの身をうかべる人の身の限界を粛として知るべし」
この「己を無にすること」と「仕事への執着を断ちきる作業」をした上でさらに出処進退の大原則である「進むときは人まかせ、退くときは自ら決せよ」(越後長岡藩家老 河井継之助)を実践するのである。
せっかく困難な二つの作業をやっておきながら、「退」を人に相談したら、それは茶番劇となる。
誰が、相談を受けて「いい時期だから、おやめなさい」という奴がいるものか。
「まだまだ、おやめになるのは早いですよ」と、止めるに決まっている。
それをいいことに居座ったら、老醜をさらすことになる。
いうなれば「退」は徹頭徹尾、自らを見つめ、自らを掘りさげて行動しなければならぬから、自然に日ごろの心栄えが一挙手一投足に反映する。
だから、そこのところを凝視しておれば、ホンモノかニセモノかがよくわかる、という寸法である。
『帝王学ノート (PHP文庫 イ 1-1)』
安岡正篤師は応対辞令についてこう語っている。
「応対辞令という言葉がありますが、応対というのは、いろいろな問題に応じてきびきびと処理してゆくことであり、辞令とは事に対して自分の考えを適確に表現してゆくことです。
この応対辞令は大変大事でありますが、俄(にわ)か仕立てではどうにもなりません。
結局平素の修業に侯(ま)つほかはないのであります」(安岡正篤一日一言)
出処進退にしても、応対辞令にしても、共に必要なのが、品性だ。
品がなければ、進退の「退」もジタバタと見苦しいし、応対の態度や挨拶も下品で卑(いや)しいものとなる。
「退」においてもう一つ必要なのが、「私心をなくす」こと。
「我」を捨てることでもある。
事に当たって、引き際のあざやかな人でありたい。 |
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