2016.3.11 |
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昔はよかった病 |
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パオロ・マッツァリーノ氏の心に響く言葉より…
じつに多くの日本人が、誤った三段論法によってどんでもない方向へジャンプして、的外れな結論のドブに着地してしまっている。
その誤った三段論法とは、
日本の犯罪は激増し、もはや安全な社会ではなくなっている。
↓
むかしに比べて、日本人の絆やふれあいが失われている。
↓
犯罪が増えたのは、絆が失われたせいだ!
まず最初の前提からして、まちがっています。
一部の金融詐欺などを除き、ほとんどの犯罪は減少傾向にあります。
現在の日本は、歴史上もっとも犯罪が少ない安全な社会です。
みなさんはいまに生きている幸運を噛みしめなければいけないはずなのに。
そして三段論法の二段目の誤った前提。
日本人の絆やふれあいの心がむかしに比べて薄くなったという証拠はどこにもないのです。
江戸や戦前の日本だって人間同士のつながりがそんなに深かったわけではありません。
むかしはみんな人情あふれる善人ばかりが和気あいあいと暮らしていたなんてのは、とんでもない妄想です。
火事とケンカは江戸の華、などと申します。
放火魔だとか、ちょっとでも気に入らないといきなり相手を殴りつけるヤツだとか、そういうヤバい人間は、むかしのほうがたくさんいました。
江戸時代にさえ、ちかごろは人情が薄れたという声があったくらいで、明治・大正・昭和、いつの時代の人間もおなじことをいっているんです。
三段論法の一段目と二段目がどちらもまちがっているんですから、犯罪が増えたのは絆が失われたせいだと関連づける短絡的な結論も、完全なまちがいです。
ところがこういった近代史を勉強していないキャスターやコメンテーターは、児童誘拐殺人のような凄惨な事件が起きると眉間にしわを寄せ、知ったような口を叩きます。
「かつて日本は安全な国だったのに、もはや安心はできません。もっと地域の見守りを強化し、絆を強めなければ犯罪は防げませんね」
誘拐事件もむかしのほうがずっと多く起きてました。
近年では1968年、69年ごろが誘拐事件のピークで、69年には現在の倍近い351件も起きてます。
また、凶悪な事件は、地域の絆が弱い町だけで起きているのですか?
そんな事実はありません。
住民同士の結束が固い地方の山村でも、事件は起きるのです。
実際には、こどもを連れ去るのは離婚した元親など、こどもの親類・知人である例が多いのです。
不審者や他人による誘拐事例はこの10年で半減し、年間30件くらい。
自殺の多い村では、むしろ絆が強すぎて排他的な傾向があるといいます。
排他性・同一性が強い村では、自分の悩みや弱みを人にいえず抱えてこじらせます。
こんなことで悩んでいる自分はおかしいのではないか、みたいに。
一方、自殺率の低い村では、人間の多様性が尊重されてます。
よのなかにはいろんな人間がいていいのだ、と考える。
だから悩みも気軽に相談できるし、他人とちがう意見を堂々といえるんです。
よそ者にも気軽に話しかけるのですが、それは関心があるだけで、監視しているわけじゃない、と村人はいいます。
この研究から学ぶべきことは多いはず。
いま、日本中でやっている地域の絆運動は、方向性をまちがえてます。
強めているのは絆ではなく同一性。
犯罪被害を過剰に恐れるあまり、自分とちがう考えや意見を持っているというだけで犯罪予備軍扱いしたり、人とちがう行動をとる者やよそ者を、不審者として排除しようとする傾向が強まっているように思えます。
『「昔はよかった」病 (新潮新書)』
マスコミは特異なこと、珍しいこと、話題性のあるものを取り上げる。
犯罪のニュースもそのいい例だ。
毎日、毎日、犯罪のニュースにさらされているので、犯罪が多い、激増しているかのようなイメージが定着してしまう。
逆に、昔のことは美化して考えるのが人の常だ。
多くの人は、自分の子供時代の嫌なことを忘れてしまい、良かったイメージだけを覚えている。
同様に、江戸時代は、人情があってよかった、と我々が思っているのは、テレビや映画のドラマや小説による影響が強い。
藤沢周平や、山本周五郎、池波正太郎など多くの作家によって作られたもの。
マスコミは、今この時代は最悪だ、治安が悪い、政治が悪い、経済が悪い、人間の絆が薄くなった、人情が足りない、と騒ぎ立てる。
しかし、それは「昔はよかった病」に過ぎない。
それは、東日本大震災後の日本人の行動に、世界から驚きと称賛が寄せられたことでも分かる。
「助け合い、絆」は現在でも連綿として続いている日本人のよき気質なのだ。
時代は進み、ますます便利になり、さらに経済も豊かになり、治安はよくなり、間違いなく昔より住みやすくなっている。
「昔はよかった」病は治したい。 |
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