2016.2.24 |
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気分が落ち込んだときには |
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精神科医、斎藤茂太氏の心に響く言葉より…
気分が落ち込んでくると、人に会うのが厭(いや)になる。
特に、初対面の人は、相手のペースもわからず、つきあうのにかなりエネルギーを必要とする。
自分のエネルギーが低下しているときには、おっくうに感じるのも当たり前だ。
また、上司の顔を見るのが厭になってきたり、夜のつきあいがわずらわしくなったり。
それまでは、同僚と帰りに一杯やるのが当たり前だったのが、急にめんどうになってくる。
そんな人の話を聞いていると、普段は人並み以上に人づきあいのいい場合が多い。
人づきあいがよく、人にも好かれるのだが、それだけに、こまかく気を配っている。
しかし、不調のときには、それができない。
それで、人に会うのがめんどうになってくる。
また、周囲の人に頼られている場合も多い。
何かあると、みんながその人にアドバイスを求める。
そんな、めんどう見のいい人が、不調におちいったときは、たいへんである。
自分のほうが元気がないのに、相変わらず人は頼ってくる。
しかし、それどころではないので、人に会うのを避けるようになる。
根がマジメな人もそうだ。
「こんなことになったのも、オレがああしたのがいけなかったんじゃないか」
「こんなトラブルが起こるのは、オレに問題があるのだろうか」
などと内省し過ぎる。
反省のなさ過ぎるのも困りものだが、反省し過ぎる人も困る。
反省し過ぎると暗くなって、人とつき合う意欲がわかなくなってしまうのである。
それに、人に会って、説教されるのがこわい。自分でも、
「オレがいけなかったのか」
とも思っているところへもってきて、さらに他人に厳しいことをいわれたのではたまらない。
そこで、怒られそうな人にはとりわけ会いたくなくなり、自閉症的になっていく。
さて、もしあなたにこんな「人間嫌い」の徴候があるなら、思いきって人間嫌いをつき進めていくのもいいいと思う。
無理して、みんなとつきあう必要はない。
大人ぶって、誰とも仲よくしなくてもいい。
上司や後輩とうまくやれなくてもいい。
人間関係なんか、そんなにうまくやれなくて当たり前だ。
しかし、誰かひとりくらい、あなたの話をわかってくれそうな人がいないだろうか。
あなたが好きな人はいないだろうか。
ひとりでも、ふたりでも、本当に好きな人とだけつきあえばよいではないか。
後は適当にしておけばよい。
人間関係を上手にやろうと努力することなど、やめてしまおう。
きっと気持ちが楽になるはずである。
『「気持ちの整理」の上手い人下手な人 (WIDE SHINSHO197) (新講社ワイド新書)』
今、どんなに絶好調の人でも、必ずいつか不調の時はくる。
不調のときは、ジタバタしても状況はよくならない。
むしろ、じっとして、エネルギーを蓄(たくわ)え、状況が変わるまで待つことだ。
不調の時はパワーが落ちている。
そういうときは、新しいことはやってはダメだ。
むしろ、断ったり、捨てたりする勇気を持つこと。
つまり、禅語にある「放下著(ほうげしゃく)」。
執着や、こだわりを捨ててしまえ、ということ。
人間関係を上手にやらなければならない、というこだわりを捨てる。
みんなと仲よくしなければならない、という強迫観念を捨てる。
つねに明るくポジティブでいなければならない、という思い込みを捨てる。
気分が落ち込んだとき…
ときには、じっとしていることも必要だ。 |
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