2016.2.4 |
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八風吹けど |
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ひろさちや氏の心に響く言葉より…
禅のことばに、
「八風(はっぷう)吹けど動ぜず(八風吹不動)」がある。
ろうそくの火は風に揺れ動く。
そのように、わたしたちのこころも八つの風によって揺れ動き、惑わされるのであるが、それを不動のものにせねばならぬ…という意味である。
では、八つの風とは何か。
利・衰(すい)・毀(き)・誉(よ)・称(しょう)・譏(き)・苦・楽である。
利…利とは、たんに金銭的利益だけではなしに、わたしたちの意にかなうものはすべて利である。
利をもって誘われると、わたしたちのこころは、ついふらふらと動いてしまう。
衰…利の反対が衰で、わたしたちの意に反するものを言う。金銭的な損失だとか、左遷など。
毀…毀とは陰でそしること。
誉…逆に陰でほめるのが誉である。
称…称は目の前でほめること。
譏…反対に目の前でそしるのが譏。
苦…仏典によると、苦は「逼悩(ひつのう)」の義だという。すなわち、「圧迫して悩ます」である。苦によって、わたしちのこころは乱れる。
楽…逆に楽によっても、わたしたちのこころは揺れ動く。注意せねばならない。
八風のうちの四風(毀・誉・称・譏)が、いわゆる「毀誉褒貶(きよほうへん)であって、要するに世間の評判である。
“風評”ということばがあるが、まさに「風」である。
そんな「風」に動じない、不動心を確立せよ…というのが禅の教えである。
釈迦はこのように言っておられる…「ただ非難されるだけの人、ただ称賛されるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろうし、また現在もいない」と。
『がんばらない、がんばらない (PHP文庫)』
勝海舟に次のような言葉がある。
「行蔵(こうぞう)は我に存(そん)す。
毀誉(きよ)は人の主張、我に与(あずか)らず我に関せずと存じ候(そうろう)。
各人へ御示し御座候とも毛頭異存(もうとういぞん)これなく候」
私の行いは、すべて自分の責任である。
陰でほめようが、誹(そし)ろうが、それは人の勝手である。
私にはあずかり知らぬこと。
どなたにお示しいただいても、まったく異存はない。
また、ダンテは神曲の中でこう言っている。
「汝(なんじ)の道を行け、而(しか)して人の語るにまかせよ」
自分の信じる道を行く、しかし、その結果何を言われても気にしない。
人の語るに任せる、言いたい者には言わせておけ、という気概。
八風が吹いても、にっこり笑って、さらりと受け流す。
「人の語るにまかせる」ことができる器の大きな人でありたい。 |
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