2016.1.2 |
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情の人 |
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向谷匡史氏の心に響く言葉より…
田中角栄が首相当時、年賀状は八千枚がきたという。
だが、私が感心したのは年賀状の枚数ではない。
分刻みのスケジュールをこなす超多忙の角栄が、八千枚のすべてに目を通し、返信を代筆する秘書に添え文を逐一指示したという、そのマメさに驚くのだ。
印刷文だけの年賀状ほど味気ないものはない。
ところが、たった一言でも「あなたに宛てたメッセージ」が記されていれば、それだけで嬉しくなる。
角栄にしてみれば「一人対八千人」であっても、差し出した人にしてみれば角栄と「一対一」だ。
だから「あなたに宛てたメッセージ」が活きてくることになる。
政治家を政治家たらしめているのは、有権者だ。
選挙民の一票によって支えられている。
サルは木から落ちてもサルでいられるが、政治家は選挙に落ちたらタダの人になってしまう。
だから角栄は、どんなに忙しくても八千枚に目を通し、添え文を指示する。
「年賀状一枚=一票」という発想があったのだろう。
年賀状に限らず、角栄の人心収攬(じんしんしゅうらん)において「返事」というのは重要なキーワードになっていることがわかる。
政治家は、陳情など「頼まれること」が仕事だが、政治家はオールマイティではない。
得手(えて)の分野もあれば不得手もある。
“陣笠議員”など、うまくいかないことのほうが多いだろう。
しかし、力がないと思われたくないため、ノーになった結果は自分の口から伝えたくない。
「あの件、どうなりましたでしょうか?」
頼まれた相手から催促されて、
「それが、なかなか…」
返事を濁したり、シカトしたりする。
これでは人の心はつかめないと、角栄は言う。
「必ず返事は出せ。たとえ結果が相手の思いどおりでなかったとしても、『聞いてくれたんだ』となる。これは大切なことなんだ」
頼み事をしたからといって、うまくいくとは限らない。
頼んだ相手も、それは承知の上だ。
だから心すべきは、結果よりも、誠意を持って動いたかかどうか、ということだ。
「なんだ、口先ばかりで、何もしてくれなかったじゃないか」
となれば、人間として信頼を失う。
「うまくいかなかったけど、誠心誠意、よくやってくれた」
となれば、相手は感謝である。
人から頼まれごとをされたときは、結果が出次第、返事は必ず自分でする。
言いにくい結果であればあるほど、きちんと返事をしてくれたことに対して、相手は誠意を感じるものなのだ。
『人は理では動かず情で動く 田中角栄 人心収攬の極意 (ベストセレクト)』KKベストブック
情の人、田中角栄が四十四歳で大蔵大臣に就任したとき、大蔵省の超エリート官僚に対して語った伝説の名スピーチがある。
「私が田中角栄だ。
小学校高等科卒業である。
諸君は日本中の秀才代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。
私は素人だが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきて、いささか仕事のコツを知っている。
一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。
われと思わん者は誰でも遠慮なく大臣室に来て欲しい。
何でも言ってくれ。
上司の許可を取る必要はない。
できることはやる。
できないことはやらない。
しかしすべての責任はこの田中角栄が背負う。
以上!」(同書より)
人は、「理」という理屈では動かない。
どんなにそれが正しかろうが、筋道がしっかりしていようが、「情」という感情や感性がそれを嫌(いや)だと思えば、テコでも動かない。
相手の学歴や肩書でもなければ、知識の量でもない。
人は、感じて動く。
だから、「感動」という。
「真があるなら、今月今宵(こよい)。あけて正月、だれも来る」
という、高杉晋作の言葉も同じ。
情(なさ)けがあるなら、それが行動にすぐ結びつく。
明日の朝になれば、誰でも来るからだ。
情の人でありたい。 |
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