2015.12.31 |
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周りを明るく楽しく照らす |
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小林正観さんの心に響く言葉より…
古事記の中にある「天岩戸(あまのいわと)開き」という話の中に、神様の性質が隠されています。
それは次のような話です。
「須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴な行動に怒り、天照大神(あまてらすおおみかみ)は天岩戸に閉じこもってしまいました。
すると、すべてが闇になり、さまざまな禍(わざわい)が生じます。
どうしたらいいものかと八百万(やおよろず)の神が相談し、さまざまな儀式を行いました。
そして、天細女命(あめのうずめのみこと)が天岩戸の前で桶を伏せて踏み鳴らし、踊ることになったのです。
この踊りを見た八百万の神々から、笑いの渦(うず)が巻き起こります。
楽しそうな笑い声を聞いた天照大神は、周りで何が起こっているのかと思い、天岩戸を少し開けて問いました。
そこへ、待ち構えていた天手力男神命(あめのたぢからのみこと)が岩戸を開け、世の中に光が差し込むことになったのです」
この物語では、天照大神は、「泣いてもわめいてもお願いしても、聞いてくれない」ということを教えています。
単なる神話だと思う方もいると思いますが、私にはそうとは思えないのです。
物語をとおし「神様を動かすには、お願いごとをしても駄目なんだ」ということを、私たちに教えて下さっているように思えました。
「自分の人生が思いどおりにいかず、辛いので何とかして下さい」と言っても、神様は聞いてくれません。
「面白がること」「楽しむこと」「幸せに過ごすこと」こそが、神様を動かすために有効な手段らしいのです。
「人生が面白くて、楽しくて、恵まれているものがたくさんあって、とても幸せです。神様ありがとう」と言っていると、神様は、「本質がわかったんだな」と思い、もっと味方になってあげようと、と考えるようです。
もしかすると神様はとことん不公平なのかもしれません。
というのは、悲しがって辛い辛いと言っている人には、何の関心もない。
神様に、愚痴や泣き言をいくらぶつけたとしても、聞く耳を持ちません。
これは、私たちの生活の中で神様を味方につけるための、非常に重要なポイントです。
本来、神社仏閣はお願いを伝えるところではなく、「自分がどれほど恵まれているか気がつきました。ありがとう」と、お礼を言いに行くところです。
「ありがとう」とは、もともと「有り難し」という言葉で、人間業ではない、自然界には存在しないような現象を「有り難し」といい、神に向かって言う言葉でした。
人間に向かって言うようになったのは、室町時代以降のことです。
私たち人間や、動植物に向かって「ありがとう」と言うと、神様はすべて自分に向けられた言葉だと認識します。
ですから、たくさんの「ありがとう」が神様に届くと、この人間に何かしてあげようかな、と思うようです。
「ありがとう」という言葉に一番反応する神様は、天照大神。
この神は「あまねく照らす」ことから「アマテラスオオミカミ」と呼ばれています。
私たちは、神様から見るととても小さな存在です。
しかし、一人一人が天照大神のように輝いて生きていき、その人がいることで周りを明るく楽しく照らす、まるで「小さな天照大神」のような人がいたら、神様は嬉しいのではないでしょうか。
ありとあらゆる人に対して、明るく、楽しく、笑顔で、爽やかな存在となって周りを照らしていく人は、「小さな天照大神」になれるかもしれません。
「小さな天照大神」を略して「プチテラス」ということにしました。
私たちは、誰もが「プチテラス」として生きていくことができます。
『無敵の生きかた みんなが味方になる』廣済堂出版
「面白がること」「楽しむこと」「幸せに過ごすこと」が大事なことはわかっている。
でも、それができないから悩んだり、苦労しているのではないか、という人は多い。
「笑いが大事だ」と言ったとき、「私だって、楽しいことがあれば笑うよ。でも楽しいことがないからしかたないじゃない」というのと同じ。
「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなる」という言葉がある。
つまらないことや面倒なことの中に、面白いことを探し、楽しみや幸せを見つけることこそが人生の本質。
すると、人生のいたるところに、「ありがとう」と感謝することも見つかる。
本日は、大晦日(おおみそか)。
神社では、今年一年の罪穢(つみけが)れを祓(はら)い清める儀式、師走(しわす)の「大祓式(おおはらえしき)」が行われる。
祓ったあとは、今あるすべてに「ありがとう」と感謝する。
そして…
自らが輝いて生き、周りを明るく楽しく照らす存在になること。
新しい年を、面白がって、楽しんで、幸せに過ごしたい。 |
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