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2015.12.28

真の積極(せきぎょく)精神を身につける


尾身幸次氏の心に響く言葉より…

「積極(せきぎょく)精神」は、「強い信念」という言い方もできる。

中村天風先生は、積極とは心の態度を常に「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山」の状態にすることだと言われた。

これは江戸城無血開城の道をひらいた幕臣山岡鉄舟の句で、すべてを記(しる)すと「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山、もとの姿は変わりざりけり」である。

朝敵(ちょうてき)であった徳川の臣から明治天皇の侍従となった時の自分を、晴れていようが曇っていようが変わることのない富士の姿になぞらえ、幕府に仕えた自分も皇室に仕える自分も変わらず至誠を持って忠勤に励む心を詠んだものである。

つまり、天風先生が説く「晴れてよし曇りてもよし富士の山」の積極精神とは、何事があろうとも心を動揺させることなく、つねに平常心でいるということなのである。

世間の人々は、積極というと消極に相対したものととらえ、強気な気持ちで何かに立ち向かうことのように思っている人が多い。

これは、真の積極精神ではない。

ともすると、がむしゃらに強がったり、頑固に思いを変えずに頑張ることにもつながりかねず、それが通用しないとなると挫折感にさいなまれ、以前よりも消極的な気分に陥(おちい)るという、だらしないことになる。

天風先生が説く積極精神というのは、そのような負けまいとする、何かに張りあおう、対抗しようというものではなく、心がその対象なり相手にけっしてとらわれていない状態、心に雑念や妄念がなく、感情的な怖れなどがいっさいない状態をいうのである。

ようするに、相手を打ち負かそうとか、負けまいというような相対的な気持ちではなく、どんな大事に直面しても、心がそれによってあわてたり、怖れたりせず、虚心平気(きょしんへいき)、平然自若(へいぜんじじゃく)として、いつもと同じようにこれに対処することができる絶対的な心の状態のことである。

天風先生はこれを絶対積極と呼ばれた。

この絶対積極の重要さを一番実感しているのが、一流のアスリートたちだろう。

よくオリンピックの選手が事に臨んで自己の実力を発揮できず、不本意な成績で終わったりすると、オリンピックには魔物がいるなどという。

この魔物とは、勝ちたい、負けたくないという自分の対抗する心がつくりだしたものなのである。

反対に「いつもの自分の力が出さえすれば、結果はついてくると思います」と多くの選手が語るとおり、もっている力をすべて発揮させるには、肉体的技術のみではなく、平常心がいかに重要かということである。

天風先生に師事した昭和の大横綱双葉山(ふたばやま)の連勝が69で止まったとき「未(いま)だ木鶏(もっけい)たりえず」と語ったのは有名な話である。

これは荘子に収められている故事にある、闘鶏の鶏(にわとり)を育てる名人が「相手に闘争心を燃やしたり、自分の強さを誇示したりしているあいだは、本物の強さとはいえない。相手が威嚇(いかく)しても、まったく相手にせず、まるで木彫(きぼ)りの鶏のように泰然自若(たいぜんじじゃく)としていられるようになった鶏が最強である」と語ったことに由来する。

まさに絶対積極の境地を言っている。

『成功への実践』日本経営合理化協会出版局


「気に入らぬ 風もあろうに 柳かな」

この言葉は、江戸時代の臨済宗の僧侶、仙香iせんがい)和尚が作ったものだが、天風師は、これこそ「絶対積極」を表すものだ、と言っている。

世の中には嫌なことや気に入らないこともたくさん起きるが、それを我慢したり耐えたりするのではなく、柳のように受け流すことが必要だ、ということ。

むしろ、そのひどい状態を楽しむくらいがよい、と天風師は言う。

まさに、「風、疎竹(そちく)に来たる、風過ぎて竹に声を留めず」という禅語とも同じ。

風が疎(まば)らな竹林を通り過ぎると、一時はザワザワと竹林は騒ぐが、風が通りすぎてしまえば、竹林はすっかり静かになり、何の声も留めない。

どんな難事に出会っても、それが終わってしまえば、なんのこだわりも残さず、とらわれない、ということ。

ただの表面的な強がりや、無理した我慢はすぐに見破られる。

真の積極精神を身につけたい。


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