2015.12.25 |
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どれをとってもいいんですよ |
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大敬先生の心に響く言葉より…
よくこんな質問をされます。
「a、b、c、三つの選択肢があるのです。どれをとればいいのでしょうか」
私は、「どれをとってもいいんですよ」と答えます。
そうしますと、その人はびっくりされるんですが、a、b、c、どの道をたどっても、必ず《幸せ》に到達するんだと、まず断固として信じるんですよ。
そう信じて、思い切って、エイッと選択すれば、その選択した道がきっと最善、最高のものなんですよ。
頭のアレコレの堂々めぐりの思いを断ち切れば、生命の根源からおのづと智慧の選択がやってくるのです。
どの道を選んでもいいのですよ。
どの道を行っても必ず《幸せの国》に入れるんです。
自らの道を自ら選ぶ自由があるのです。
しかし、どの道を選んだとしても、その道はあなたにとって、唯一絶対の、二つない、三つない道です。
その道の今、ココの、その一歩に、あなたの生命の全体重が、全身全霊がかかっていなければなりません。
真剣な学び、努力の姿勢が必要なんです。
それさえありましたら、次々、自動的に新しい道が行く手に伸びていくことになります。
あなたのいのち全体が、次々道となって伸びてゆくのです。
それから、最後に、ある本で《人生の祝福》という詩を知りました。
まるで私のことを書いたもののようで、しみじみ感動しました。
《人生の祝福》J・ロジャー・ルーシー
大事をなそうと 力を与えてほしいと神に求めたのに 「慎み深く、従順であるように」と 弱さを授かった
より偉大なことができるようにと 健康を求めたのに 「より良きことだけができるように」と 病弱を与えられた
幸せになろうとして 富を求めたのに 「賢明であるように」と 貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに 「得意にならないように」と 弱さを授かった
人生を享楽しようと あらゆるものを求めたのに 「あらゆることをしみじみ喜べるように」と ひ弱な生命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず 心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた
私はあらゆる人の中で もっとも豊かに祝福されたのだ
『神様の壺〔新訂版〕 ~大敬先生《しあわせ通信》第二集~』本心庵
「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄(なわ)の如(ごと)し」
という言葉がある。
幸福と不幸は表と裏の関係で、まるでより合わせた縄のように交互にやってくる。
災いだと思っていたことが幸福につながるきっかけになったり、逆に幸福だと思ったことが不幸につながる道だったりもする。
成功も失敗も、「強さ」も「弱さ」も、「健康」も「病弱」も、「富」も「貧困」も、「賞賛」も「非難」も、すべて表と裏。
すべてが表裏一体で、切り離すことはできない。
人生は、右の道を行こうが、左の道を行こうが、結局は同じ「幸せ」の道に行き着くようになっている。
だだし、大事なことは、今ココを真剣に生きているかどうか。
この一瞬一瞬を「人生二度なし」の気持ちで、誠実に大切に生きるなら、どの道を選んでも最後は「幸せ」の国に行きつくはずだ。
真剣に学び、努力すれば、いつか必ず道は拓(ひら)ける。 |
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