2015.12.10 |
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生きた長さではなく、どう生きたか |
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医学博士、帯津良一氏の心に響く言葉より…
アナトール・ブロイヤードさんという評論家が『癌とたわむれて』(晶文社)という本を書いています。
ブロイヤードさんは、前立腺がんになり、わかったときには全身の骨に転移していました。
それが1989年8月のこと。
彼は、1990年に70歳で亡くなりますが、その間にたくさんの文章を書いています。
それをまとめたのが、『癌とたわむれて』という本です。
とてもウイットに富んだものの見方が私は好きで、患者さんにもおすすめしています。
ブロイヤードさんは、全身の骨転移がわかったとき、「ときめいた」と言っています。
なぜ、ときめいたのか。
これがなかなかしゃれています。
「わが人生にも締め切りが設けられた」
というわけです。
彼は優秀な評論家でしたから、いつも締め切りに追われていました。
締め切りがあるからこそ、いい原稿が書けるということも知っていたと思います。
自分ががんとわかったとき、それを人生の締め切りととらえた感性には感服します。
締め切りのない人生は、どうしてもだらだらと怠惰になってしまいます。
締め切りが設けられた瞬間に、ぴしっと気持ちも締まります。
締め切りまでに何をしようかと、真剣に考えます。
今までは躊躇(ちゅうちょ)していたことでも、思い切って行動できるでしょう。
人生が一気に充実するのです。
長生きすることがばかりが求められますが、大事なのは、生きた長さではなく、どう生きたかです。
私の大好きな夏目漱石は49歳で亡くなっています。
正岡子規は35歳。
早すぎる死だといわれる年齢です。
しかし、彼らは、長くは生きられなかったけれども、とても充実した生を生きたはずです。
本当にすばらしい仕事をし旅立っていきました。
まさに、常に締め切りを感じながら、今を力いっぱい生きたのではないでしょうか。
江戸時代の禅僧、白隠禅師は弟子たちに向かって、こう問いかけています。
「古だぬきが古い巣の中で眠っているような生き方でいいのか」
どきっとしますね。
私は、何年か前から、一日一日を人生の締め切りとして生きるようになりました。
いつも、今日が最後の一日です。
そのつもりで生きると、一瞬一瞬が輝いてきます。
食事もおいしくありがたくいただけます。
会う人会う人がいとおしくなってきます。
人生には間違いなく締め切りがあります。
それを意識するかしないかで、人生の充実度はまるっきり違ってくるのではないでしょうか。
『粋な生き方 病気も不安も逃げていく「こだわらない」日々の心得』幻冬舎ルネッサンス
ほとんどの仕事は数値化できる、と言われる。
その一つが、「締め切り」。
「いつまでに」、という締め切りが決められた途端、どんなに怠惰(たいだ)な人間も動き出す。
人は、数値化されていない漠然(ばくぜん)とした夢や、目標では、行動は起きない。
人には、この世に生まれ落ちたときから、「いつかは必ず死ぬ」、という定めがある。
死亡率は100%。
早いか遅いかの違いだ。
漫然(まんぜん)生きていると、今日と同じ明日が続くと思ってしまう。
「一期一会」
「人生二度なし」
『生きた長さではなく、どう生きたか』
毎日毎日、この瞬間を一所懸命に生きたい。 |
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