2015.11.29 |
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稽古をしてはならぬ |
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致知出版社社長、藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
中川一政氏は明治26年、東京本郷に生まれた。
父は加賀松任出身の巡査。
一政9歳の時に母が亡くなる。
弟妹は郷里に預けられ、女学校に通う姉が母代わりになった。
片道3里半の道を姉は毎日歩いて女学校に通い、帰れば家事に明け暮れた。
その姉が亡くなった。
時に明治38年5月1日午前2時20分。
この死亡時刻と姉が最後に発した「ああ、どうしよう」のひと言は、最晩年まで中川氏の胸から離れなかった。
氏がはじめて絵を描いたのは21歳の時。
ある人から油絵具一式をもらったのがきっかけだった。
そこから氏の求道(ぐどう)人生が始まる。
氏は暗中模索(あんちゅうもさく)していた頃のことをこう書いている。
「私はその頃、正岡子規の文章を読んだ。井戸の掻掘(かいぼり)をする。濁った水をくみ出しくみ出し、もう出なくなったと思う頃にはじめてきれいな水がわいてくるというのである」
子規の言葉はそのまま中川氏の血肉となった。
「志」は「士」と「心」ではなく、「之」と「心」でできた文字、というのが中川氏の持論だった。
「心」が「之」(行く)の意で、心が方向を持つことだという。
その持論通り、氏の創作活動は絵画のみならず、書、陶芸、文章にも独自の境地をひらいた。
味わい深い言葉が残されている。
■人はまず最も身近にある杖をもって立つべき。
■与えられれば得をしたと思う。そうではない、損をしたことだ。
■私は余技(よぎ)のようなことはせぬ。本気でやれることをする。
■その思想天理にかなえば、くたびれず健康なり。
中川氏95歳の誕生日のスピーチがある。
「長生きしようと努力したわけではないが、気がついたら95になっていた。
芭蕉がその最後の時に、弟子にどれが辞世の句がと聞かれ、自分にとって一句一句辞世でなかった句はない、といっているが、私もこれからの一日一日をそういうふうに送りたいと思う」
稽古をしてはならぬ。
いつも真剣勝負をしなければならぬ…この言葉を自戒(じかい)とした人の一生は、最後まで生気湧出の人生であった。
『長の十訓』致知出版社
夜中、自分が寝ている間に、誰かに息を止められて死んだとしても、文句を言う訳にはいかない。
気が付いたときは、あの世にいるからだ。
これは、天災や事故や病気でも同じこと。
人は、夜寝たら、必ず翌朝に目が覚めると思っているが、そうではない。
朝起きて、命があることは本当は、奇跡のようなことなのだ。
「人は、毎晩死んで、朝生き返る」という言葉を聞いたことがある。
だからこそ、この一瞬一瞬がかけがえのない大切な時間となる。
「稽古をしてはならぬ。いつも真剣勝負をしなければならぬ」
今ここ、この一瞬を大切に、一所懸命に生きていきたい。 |
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