2015.11.17 |
|
聞くにわけあり |
|
|
修養団・元伊勢道場長、中山靖雄氏の心に響く言葉より…
人は、いいことも悪いことも、すべてひっくるめた条件の中で、人間の幅が広がっていくのです。
そういうふうに人生をとらえることができれば「見るに意味あり」で、自分が見させられるものへの意味を見出せます。
「聞くにわけあり」で、これを聞くというのは、何かわけがあるから聞かされたのだと思えてきます。
「出会いに縁あり」で、出会うということは、この出会いが自分に必要だったのだと受け止めていける。
こういう世界があるのではないかと思うのです。
「見なければ、気にならない。聞かなければ、苦にならない。誰が見せるんだろう。誰が聞かすんだろう」
なにか必要があって見せられたり、聞かされたりしているのだ。
そう考えてみてください。
そして、自分のこととしてとらえていくのです。
たとえば、電車で足を一回踏まれたら、誰でも踏んだ人を責めます。
二回踏まれたら、踏んだ二人目を責めますか?
でも、三人目に踏まれたら、いよいよ自分で考えますよね。
「自分の立っている場所が悪いのだろうか」とか、「私も踏まれないように注意しなくては」と、自分のこととしてとらえるようになります。
これが常にできるようになったら、みんな少しずつ優しくなれます。
見なければ、気にならない。
聞かなければ、苦になりません。
いったい誰が見せるんだろう?
いったい誰が聞かせるんだろう?
このことを感じながら生きることが大切なのです。
《すべては今のためにあったことです。つらかった過去もすべて 今を喜んで生きるための根になっています》
『すべては今のためにあったこと』海竜社
嫌なことを聞かされたり、見るはめになったことは、その時に、聞かなければならない意味、見なければならない意味がある。
つらいことや苦しいことを経験することも同じ。
そこに意味を見出せない人は、愚痴、文句、不平不満、泣き言などを言うだけで終わってしまう。
人やまわりのせいにする人だ。
そこに意味があると思える人は、すべてを自分ごととして捉えることができる人。
「すべては今のためにあったこと」
見るにわけあり、聞くにわけあり、出会いに縁あり、と感じながらこの今を生きていきたい。 |
|