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2015.11.1

祈りの人になりなさい


ノートルダム清心女学園理事長、渡辺和子氏の心に響く言葉より…

マザー・テレサがおっしゃった言葉の一つに、「祈りを唱える人でなく、祈りの人になりなさい」というものがあります。

これは決して、口に出して唱える祈りを否定するものではなく、祈りに心がこもっているか、祈りの内容が自分の日々の生活に沁み通り、実行されているかどうかを問う厳しい言葉と、私は受けとめました。

1984年のことでした。

マザーは、朝早く新幹線で東京を発ち広島へ行かれ、原爆の地で講演をなさった後、岡山にお立ち寄りになりました。

そして再び夜六時から九時頃まで、三つのグループに話されました。

通訳をしていて感心したのは、馴(な)れない土地でも長旅、数々の講演にもかかわらず、七十四歳のマザーのお顔に、いつもほほえみがあったことでした。

その秘密は、宿泊のため修道院にお連れしようと、二人で夜道を歩いていた時に明かされました。

マザーは静かに、こう話されたのです。

「シスター、私は神さまとお約束がしてあるの。フラッシュがたかれる度に、笑顔で応じますから、魂を一つお救いください」

“祈りの人”であったマザーは、何一つ無駄にすることなく、祈ることを実行されていたのです。

ご自分の疲れも、煩わしいフラッシュも、神との交流である祈りのチャンスにして、人々の魂の救いに使ってくださいと捧げていらしたのです。

神は、私たちが痛みを感じる時、それを捧げるもの、神への「花束」とする時、その花束を、単なる祈りの言葉よりもお喜びになるのです。

私たちは、とかく、自分中心の願いを“祈り”と考えがちですが、祈りには、痛みが伴うべきではないでしょうか。

私も日々遭遇する小さな“フラッシュ”を嫌な顔をせず、笑顔で受けとめ、祈りの花束にして神にささげたいと思っています。

『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎


渡辺和子氏はこう語ります。

「私からのほほえみを無視する人たちがいました。

そんな相手に“いきどおらず”美しいわたしであるために、私はこう考えることにしたのです。

『今の私のほほえみは“神さまのポケット”に入ったのだ』と。

そう考えて、心の中でニッコリ笑うことができるようになりました」(同書より)

どんなに、善きことであっても、無視されたり、冷たく返されることがある。

それは例えば…

「ほほえみかけること」「明るく挨拶すること」「ありがとうということ」「気遣いの言葉をかけること」「愛あるやさしい言葉をかけること」等々をしたとき。

しかし、そのことにより、「魂が一つ救われる」とか「神さまのポケットに入った」、「宇宙預金ができた」、「運がまた一つたまった」などと考えることができるなら、相手を非難したり、嫌な気持ちになってしまうことはないかもしれない。

「何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。それでもなお、良いことをしなさい」

マザーテレサも感銘を受けたという『逆説の10カ条』の中の一節だ。

「祈りを唱える人でなく、祈りの人になりなさい」とは、まさにこの「それでもなお、良いことをしなさい」という、実践の人であれ、ということ。

ほほえみ続ける、挨拶し続ける、ありがとうと言い続ける…

実践の人でありたい。


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