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2015.10.20

挨拶行(あいさつぎょう)


立花大敬氏の心に響く言葉より…

サッカー元日本代表監督の岡田武史さんの母校早稲田大学での講演記録の一節に挨拶することの意味が語られていて、「なるほど!」と思いました。

それによりますと、

「挨拶とは、僕は君という人間が僕の世界(心)に存在することを認めていますよ、許しているんですよ」

という相手に対する合図だというのです。

ということは、もし出会った人に挨拶しないということは、

「僕は君という人間が僕の世界(心)に存在することを認めていませんよ、許していませんよ」

という合図になるのですね。

だから挨拶しないということは相手に対してとても失礼にあたるし、挨拶されない人もとても腹が立つわけなのです。

AさんがBさんに挨拶しないとします。

BさんはAさんに挨拶しても全然挨拶が返ってこないものですから、次第にAさんに挨拶しなくなります。

これを先ほどの「認める、認めない」の議論を元に考えますと、Bさんは次第に「自分の世界(心)にAさんが存在することを認めなくなる、許さなくなる」ということですね。

もしAさんがクラス(学校)のすべての人に挨拶しないとすれば、ついにはクラスのすべての人が、Aさんがクラスに存在することを認めなくなる、許さなくなる、ということになってしまいます。

Aさんが困っていても無視する(無視とは「い無(な)いものと視(み)なす」ということですね)。

意見を主張しても誰も賛成、協力しない、そのような状態になってしまいます。

今度はBさんの態度を見てみましょう。

Aさんの態度に腹を立ててAさんに挨拶しないということになれば、Bさんの世界(心)のなかにAさんがいなくなります。

そのぶん、Bさんの世界(心)は狭くなったのです。

心が狭くなると「徳」が減ります。

無視する人が増えるほど「徳」はどんどん減ってしまいます。

BさんのAさんに対する態度にも未熟なところがあります。

BさんがAさんに挨拶します。

Aさんは挨拶しませんでした。

それに対して腹を立てて、もうAさんに挨拶しないとしたら、これはBさんの負けですね。

挨拶とはギブ・アンド・テイクのものなのでしょうか。

見返りを求めてしているものなのでしょうか。

そうではないのですね。

好きな人も、嫌いな人も、みんな自分の世界(心)の内側に存在することを許し、認めることができる。

挨拶はそんな器の大きな人物(徳の高い人)になるための、とてもいい練習なのです。

自分がした挨拶に反応があってもなくても、それは問題ではないのです。

すべての人を許し、認めることができる。

私がそんな大きな人物となれますようにと祈りを込めてする「挨拶行」なのです。

《挨拶が育てる「もとめない心」》


覚悟を決めよう

つらいこと、悲しいこと

厳しい呼びかけが

まだまだ続く

どんな呼びかけがやってきても

「ハイ」、「ハイ」と

答え続けよう

何万回続く苦難だとしても

無視する人、反発する人

呼びかけても、呼びかけても

返事がない

それでも呼びかけを続けよう

何万回拒否され続けたとしても

『2万人の人生を変えた23通の手紙 夢をかなえる「いちばん簡単な考え方」』イースト・プレス


マザー・テレサの「あなたの中の最良のものを」という素晴らしい言葉がある。


「あなたが善を行うと

利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう

気にすることなく、善を行いなさい

目的を達しようとするとき

邪魔立てする人に出会うでしょう

気にすることなく、やり遂げなさい

善い行いをしても

おそらく次の日には忘れられるでしょう

気にすることなく、し続けなさい」(抜粋)


挨拶も、善い行いも同じで、見返りを求めてしまうなら、それは続かない。

損得やお礼を求めずに、淡々と続けるからこそ、そこに価値がある。

挨拶行の実践者でありたい。


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