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2015.10.15

本当のことは短い一言で足りる


京都・清水寺貫主、森清範師の心に響く言葉より…

苦しい言い訳というのは、だらだらと長くなるのが普通ですね。

これに対して、本当のことは短い一言で足ります。

たとえば、「約束の仕事は終わりましたでしょうか」「はい」ですむわけです。

ところが終わっていなければ、「じつは飼いネコがいなくなりまして…」などと、理由をくどくど説明しなくてはならない。

さんざんと回り道をして、「もう少し待ってください」ということになるわけです。

終生の師である良慶和上も話の短い方でした。

それでいて用がきちんと足りている。

これは技術ではありません。

生き方から生まれてくるものでしょう。

書かれたものも同じです。

良慶和上が遺されたものを読んでいますと簡潔明瞭です。

「宗教的には、自分のことを言うのが汚いということ。

人さまのことを言うのがきれいなこと」

何か苦しいことがあるとき、私はいつも、和上のこの言葉を思い出します。

苦しいことや辛いことがあると、自分のことを言いたくなります。

もっと言えば、自分のことしか話さなくなります。

人さまのことは考えられなくなってしまっているのですね。

けれども、「自分が苦しい」とか「自分だけが辛い」と延々と言われるのを聞くのは辛いものです。

こういうときに、「苦しいのは、あなただけではありませんよ」と言っても、聞く耳を持ちませんから、「あなたにこの辛さがわかるわけがない」と、なります。

これでは同情も何もできません。

聞きようによっては、苦しさの自慢をしているのかとも感じてしまいます。

いくら苦しくても、それがいったん口から出てしまうと、汚いことになってしまうのでしょう。

これは怖いことですね。

人さまの悪口を言うのと同じように、あまり自分のことを言っても、かえって周囲に対する不満を言っているだけのように聞こえてしまうこともあります。

いくら同情してもらいたいと思っても、かえって逆効果になってしまいます。

これでは中身のある話ができるわけがありません。

中身がないから、ああでもない、こうでもない、と説明が長くなるのでしょう。

長く話したからといって、相手がそれだけよく理解してくれたということにはなりません。

自分のことを言うのは汚いことだから、できるだけ短く。

そのように考えて簡潔な生き方を心がけたいものです。

『心を練る』講談社


何かを説明するとき、それを「ひと言」で言うことができないなら、それをキチンと理解していないということ。

その本質をつかんでいなければ、要約したり、短いひと言にすることはできない。

同様に、長い文章も、メールも、言いたいことがしぼりきれていない。

結局、中身のない言い訳と同じになってしまう。

長い挨拶や祝辞も同じ。

冗長(じょうちょう)とは無駄が多くて長いことをいうが、つまり、長い挨拶や祝辞は、冗長(じょうちょう)で中身がない。

長くなるのは、自分のことを多くしゃべるから。

「自分のことを言うときは、できるだけ短く」

本当のことは短い一言で足りる。


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