2015.10.3 |
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江戸人は引っ越し好き |
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田中優子氏の心に響く言葉より…
江戸時代の人たちは、それはもうよく引っ越しをした。
確かに気軽だ。
長屋住まいの夫婦なら、布団ふた組、枕屏風(まくらびょうぶ)、数枚ずつの衣類、盆と茶碗と椀と箸と皿がふた組、すりこぎや柄杓(ひしゃく)や釜や鍋などの台所用品、箒と雑巾(ぞうきん)。
長屋には押入れがない。
布団はたたんで隅に置き、枕屏風で隠している。
着物も数枚は風呂敷に包み、その季節に着ているものは掛けておく。
着物を入れる箪笥(たんす)を持っているのは、商家や裕福な家である。
江戸時代は卓袱台(ちゃぶだい)のようなものもない。
いわゆる「家具」がないので、大八車があれば一回で、なくても数回運べば引っ越しは終わる。
どういう理由で引っ越しするのか、よくわからない。
火事で焼け出されれば仕方ないし、家賃が払えなくなればもっと安いところに行くだろう。
しかし特段の理由もなく、「いい家があったから」と引っ越す。
ごく近くに越すこともある。
落語の『粗忽(そこつ)の釘』では、亭主が探してきたことになっているから、不動産屋の仲介もなく、家主に敷金ぐらいは払うだろうが、礼金は要らない。
葛飾北斎(かつしかほくさい)は89歳まで生きた人だが、生涯に30回名前を変え、93回引っ越した。
年に1、2回は越していたことになる。
思うに、江戸時代人にとって引っ越しとは、「よりよい生活を求め続ける衝動」のようなもので、荷物が少なく引っ越し費用もかからないことが、それに拍車をかけているのではないか、と思われる。
もうひとつ、考えられることがある。
それは江戸が「旅宿の境涯」だったことだ。
江戸は旅人の町なのである。
たとえ定住しているように見えても、土に根を張り、土を耕して暮らす里の暮らしから見ると、とても定住とはいえない。
生産はせず、流通と消費しかない町なのだ。
全国、いや外国からもさまざまな人がやって来ては去って行く、その一時的な滞在場所でしかないのである。
実際に、大店の主人以外は圧倒的に賃貸住まいだ。
持ち家ではない。
武士たちはさらに、藩屋敷住まいでも一戸建てに暮らしていても、いわば社宅であって自分の家ではない。
すべての家が旅の宿(ホテル)のようなもので、すべての住人が根無し草なのである。
だから人は、ホテルをちょっと変えてみるぐらいの気持ちで引っ越しするのではないだろうか。
これを家主の側から見ると、競争が激しい、ということだ。
うかうかしてはいられない。
手直しもしただろうし、家賃はそうも上げられなかったろう。
江戸の生活インフラの向上は、江戸人の引っ越し好きが、一因だったかもしれない。
それにして、こう引っ越しするじゃやはり、宵越(よいご)しの銭など持っていられないではないか。
火事が多く引っ越しも多い。
皆が常に移動し続けている旅のような暮らしの都市。
この、互いに助け合う根無し草の暮らしが、宵越しの銭を持たない人々の暮らしだったのである。
『江戸っ子はなぜ宵越しの銭を持たないのか? 落語でひもとくニッポンのしきたり (小学館101新書)』
昨今は、「断捨離」とか、「捨てるコツ」、「がらくたを捨てる」、「片づけの魔法」というような、要らない荷物を捨てることや、片づけに関するする本が出版されたり、講演会が多く開催されている。
それだけ誰もが、要らない荷物やガラクタを持っているということだ。
荷物が少なければ少ないほど、引っ越しは簡単だ。
司馬遼太郎の小説、「坂の上の雲」に出てくる、秋山好古は「生活は単純明快にしておけ」と言った。
弟の真之と、一つしかない茶碗で、それで飯も食えば、酒も飲むという生活。
荷物はほとんどない。
荷物が増えれば増えるほど、生活にシンプルさは失われる。
日頃の生活スタイルは、考え方や生き方に影響を及ぼす。
現代において、シンプルさと単純明快さはますます必要となってきた。 |
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