2015.9.29 |
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言葉のシャワー |
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伊藤淳氏の心に響く言葉より…
「人は、パンのみにて生きるのではない。神の言葉によって生きるのだ」(イエス・キリスト)
真に人の魂を形作っていく言葉は、皆広い意味で神の言葉であり、天上的なる言葉、スピリチュアル・ワードといってもかまわないと思うのです。
なぜ、人間の魂は言葉でできていると言えるのでしょうか。
有名な狼少女アマラとカマラの話をご存知の方もおられるでしょう。
赤子のときから、狼に育てられた少女が、人間の手に引き取られ、その後どうなったかという話です。
その話の要点は、生後何年か以内に人間として教育を受けて育てられなければ、その後いくら知的な訓練をほどこしても、もはや二度と言葉をしゃべれるようにはならない、知性をもった人間とはならないというものです。
つまり、ヒトの赤ちゃんは、幼少期に言語のシャワーを数多く浴びていなければ、その後は永遠に動物のままにとどまってしまうのです。
この実例ほど、人間にとっていかに言葉が必要不可欠かを示すものはありません。
いま現在の自分も、過去に浴びてきた無数の“言葉”によってつくられてきたということです。
私たちの日々の感じ方、自分を平凡でつまらない人間だと思い込む心のあり方も、必ずしも客観的な根拠があるものではなく、「現代の大衆消費社会、行動情報社会において出回っている、数多くの“言葉の力”によって、そう思わされているだけかもしれない」ということなのです。
金魚は金魚鉢の水の状態に対して無抵抗です。
その水がとても澄んでいて、滋養に富んでいれば、いつも元気に泳いでいられるでしょう。
けれども、その水に濁りがあり、栄養分が不適切であったりすれば、だんだんと衰弱してしまいます。
私たちも、さまざまな価値(栄養素)をふくんだ言葉の水のなかを泳ぐ魚のようなものです。
そうであるならば、普通に自らの健康を気づかう程度には、日々大量に摂取していく言葉の吟味にもっと神経をとがらせてもいいのではないでしょうか。
世の中には、心を腐らせる言葉があまりにも多いのです。
私たちの元気を根こそぎ奪ってしまうようなマイナス波動をもった言葉が、いたるところにあふれています。
それに対抗するには、上質の栄養素をたっぷりと含んだ言葉のサプリメントをふんだんに摂取するしかありません。
言葉の力によって、心が汚染されているのであれば、それを浄化するのもまた真なる言葉の力です。
『言葉には、なぜ現実を変える力があるのか?』きこ書房
我われは毎日、膨大(ぼうだい)な数の言葉のシャワーをあびている。
良き言葉も、悪しき言葉も。
良き言葉をあびれば、「明るい」「楽しい」「愉快」「うれしい」「しあわせ」な状態となる。
悪しき言葉をあびれば、「暗い」「苦しい「不愉快」「かなしい」「不幸せ」な状態となる。
人に喜びを与えるなら、良き言葉を発すること。
人を傷つけ悲しみを与えるなら、悪しき言葉を発すること。
「人は無数の言葉のシャワーをあびてきた」
良き言葉を大事にする人でありたい。 |
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