2015.9.25 |
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極上の暇つぶし |
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ひすいこたろう氏の心に響く言葉より…
「そんなに大層なことは、この世にひとつもない。大概、笑ってごまかせることだ」(森繁久彌・俳優)
ある国の首相ふたりが話し合っていると、ドアをあけて、あわてて駆け込んできた男がいる。
すると、地元の首相が入ってきた男にこう告げた。
「ピーター、規則その6を思い出しなさい」
すると、彼は憑き物が落ちたように冷静になり、お詫びの言葉を口にして首相室から出ていきました。
20分後、今度は興奮した女性が入ってきました。
身振りが激しく、首相に何かを主張しています。
首相はまたも先ほどと同じ言葉をかけた。
「マリー、規則その6を思い出しなさい」
すると相手は冷静になり、会釈をして出ていった。
訪問国の首相が、地元の首相に尋ねました。
「これほど驚いたのは初めてです。ぜひ、規則その6のヒミツを教えてもらえませんか?」
規則その6、なんだったと思いますか?
規則その6は…
「あまりくそまじめになるな」
なるほどと感心した訪問国の首相は、ほかの規則も知りたがった。
「ほかも何も、これだけです」
ユーモアを忘れず深刻になるな、ということです。
くそまじめにやるからといって、いい結果がでるとは限りません。
むしろ、その逆のことが多い。
深刻になっているときは、呼吸は浅く、自分のことしか考えられない状況になっています。
また、「思考」が優勢になっているので、逆に「感覚」(五感)は閉じています。
考え事をしてごはんを食べると、ひとつひとつの味を感じられないですよね?
それと同じです。
くそまじめにならず、リラックスして、感覚を開いている方がむしろ直感は働きます。
くそまじめになっている自分を感じたら、「規則その6」を思い出してください。
すると、ふっと肩の力が抜け、縮こまった自分の心にスペースが広がるのを感じるはずです。
たかが人生じゃないか。
だって、僕らが生まれてきた理由は、こうだから!
「われわれは、この地球に住んで、ばかばかしいことをするために生まれてきた。これに関してはだれにも違うとは言わせない」(カート・ヴォネガット・作家)
『常識を疑うことから始めよう (Sanctuary books)』
「人生は冥途(めいど)までの暇つぶし」
とは、今東光大僧正の言葉だ。
続けて、「極上の暇つぶしをしなくてはあかん。人生は誰と出会えるか、その積み重ねでしかないんだよ」と、語ったという(島地勝彦)。
平安時代の『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)の中にも、こんな言葉がある。
「遊びをせんとや生まれけむ 戯(たわぶ)れせんとや生まれけん 遊ぶ子どもの声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」
人は、遊ぶために生まれてきた。
戯れるために生まれてきた。
遊んでいる子供の声を聞いていると、自分の体も自然に動き出してしまう。
人生においては時に、遊んだり戯れたり、ふざけたりすることがいかに大事なことか。
感動や感激がなくなった時は、子どもの頃の豊かで柔軟な感性がなくなってしまった時。
四六時中、まじめくさっていたら、息がつまってしまう。
時には、極上の暇つぶしも必要だ。 |
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