2015.7.25 |
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媚びない、群れない、属さない |
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町工場経営者、竹内宏氏の心に響く言葉より…
『媚(こ)びない、群れない、属さない、そして、やめない、あきらめない』
「あまり群れるのも好きじゃないし、媚びるのはもっと嫌いだし、属するのもどちらかというとあまり好きじゃない。
ということになってくると、おのずと選択肢って狭くなっちゃうんですね、自分で生きていくしかなくなる。
だれもやったことのない、世の中にないものだけを開発して、それを商品化し続けるというのが、私らしさなのかもしれない」
この強烈な言葉は、地を這(は)うようなどん底のなかで生まれた。
子どもの頃から機械いじりが大好きだった竹内さんは、高校卒業後、金型を作る工場に就職。
27歳で独立した。
当時は、いわゆる高度成長の時代。
大手メーカーからひっきりなしに依頼が舞いこみ、経営は順調だった。
だが1980年代後半、日本はかつてない円高の時代を迎えた。
メーカーの多くは生産拠点の海外移転を検討し始めた。
不況知らずと言われた金型業界にも、暗雲が立ちこめた。
竹内さんが、独自開発に踏みきろうと思ったのは、この頃からだ。
もともと、発想力には自信があった。
とくに、多く需要が見込めそうな「射出成型機」の小型化に力を入れようと決めた。
10人以上いた社員の生活も心配だった。
だが、開発に成功さえすれば、じきに解決できるはずだ。
だがこの決断こそ、想像をはるかに超える、いばらの道への入り口だった。
何度試作を繰り返しても思うようにはいかない。
トラブルが続出した。
大手メーカーのように潤沢な開発予算はない。
たえず一緒にいて知恵を絞ってくれる仲間もいない。
手間どるうちに、時代の逆風はさらに強まった。
90年代の不況のあおりで、金型の発注が激減。
今までにない苦境に、仲間の多くは倒産に追いこまれた。
竹内さんの工場もついに赤字に転落。
やむなく給料の値下げを申しいれると、従業員の半数が工場をやめていった。
「開発が成功するまで待ってくれ」そんな説得も、みなを引き戻す力はなかった。
竹内さんは、追いこまれた。
開発は先が見えない。
負債は増え続ける。
夜中に支払いを催促される夢を見て、何度も目が覚めた。
倒産の文字が頭をかすめた。
昼も夜もなく、家族と過ごす時間も犠牲にして、ひたすら開発に打ちこんだ。
納得がいく製品が仕上がったのは、開発を始めて17年目のことだった。
その装置は、従来の20分の1という破格の小ささ、消費電力も20分の1に抑えることができる。
町工場の仲間に見せると、みなその出来に感嘆の声を上げた。
「おれ今、鳥肌が立ってるよ!」その言葉に、竹内さんは大きな力を得た思いがした。
メーカーに持ち込むと、評判は上々。
発売後ほどなくして次々と注文が入り、工場の経営はもち直した。
大手メーカーに納めた「射出成型機」を竹内さんといっしょに見にいった。
17年におよぶ苦労の末、開発に成功した装置が、メーカーの研究施設の中枢(ちゅうすう)で今もその役割をみごとに果たしていた。
「いやー、やっぱり感激しますね、ここまでやっていただくとは…」
自分の子どもの成長を見る父親の目になっていた。
帰りの車のなかで、しきりに涙を拭(ふ)く竹内さんの姿があった。
「独創力こそ、工場の誇り」。
そんな竹内さんの信念を象徴する出来事だった。
『プロフェッショナル 仕事の流儀 運命を変えた33の言葉 (NHK出版新書 414)』
「一燈(いっとう)を提げて暗夜を行く。暗夜を憂(うれ)うること勿(なか)れ、只(ただ)一燈を頼め」(言志四録)
暗い夜道を一つの提灯(ちょうちん)を持って進む。
だが、暗い夜道(自分の置かれている厳しい状況)を不安に思ったり、嘆き悲しんではいけない。
自分の持っている提灯(夢や志や可能性)を信じて、一歩を踏み出し、ただひたすら前に進め。
また、清沢哲夫氏のこんな詩もある。
「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」
「独創」とは、人のマネをしないで、独自のものを創り出すこと。
先が見えないときは、とにかく一歩を踏み出すしかない。
人目を気にせず、ただひたすら前に進む…
「媚びない、群れない、属さない、そして、けっして、やめない、あきらめない」
己(おのれ)の道を迷わずに、ただひたすら前に進む人には、限りない魅力がある。 |
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