2015.7.20 |
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外野席で叫ぶ酔っ払い |
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中島薫氏の心に響く言葉より…
人が何かをしようとするときには、必ず外野から口を出してくる人がいるものです。
「悪いことはいわないから、そんなことはやめたほうがいい」というのが彼らの決まり文句ですが、ことの本質がわかっていっているわけではなく、ただやみくもに止めるだけの、これのどこが「悪いことはいわないから」なのでしょうか。
仮にいま、あなたはあるプロ野球チームのピッチャーだとします。
2対0で勝っている試合の9回裏、相手の攻撃。
2死2.3塁でバッターは4番打者。
監督とキャッチャーは敬遠のサインを出し、自分もそのほうがいいと思っている。
ここであなたは、スタンドで「勝負しろ!」と叫んでいる酔っ払いのいうことを聞いて、勝負しますか?
勝負して、そして打たれたら?
これが仮に、監督やキャッチャーから「勝負」のサインが出ていたり、または自分でも勝負したくて投げて、その結果打たれたら話は違います。
でも、単に外野のいうことを聞いてうまくいかなかったとしても、外野は責任なんてとってくれません。
それが外野というものです。
「私は外野のいうままに流されてきたおかげで、こんなに大成功しました」という人がもしいたら、ぜひお目にかかりたいと思っています。
この外野のノイズに気をとられて、うまくいくはずのこともうまくいかなくなった人は、けっこうたくさんいるのではないでしょうか。
それは、外野とそうでない人との区別がついていない場合に起こります。
要は、本当にあなたのことを思って、いってくれているのかということ。
それは、外からものをいうのではなく、ちゃんと中に入ってきて、あなたがやっていること、やろうとしていることをあなたと同じぐらい理解したうえでいってくれているか、それを見分けられるようでありたいものです。
『始めるのに遅すぎることなんかない! (サンマーク文庫)』
「最後は自己責任」と思い定めている人は、人のせいにはしない。
親や先生が言ったから、友達に言われたから、国が言ったから(言ってくれなかったから)、と責任を他に押しつけてばかりいる人は最終的には誰にも相手にされなくなる。
自分は悪くない、と言い訳ばかりいう人は見苦しい。
「ボクシングを見ている奴はいろいろなことを言うが、リングで戦っている奴を褒(ほ)めろ」(セオドア・ルーズベルト大統領)
外野席にいる酔っ払い、無責任な評論家、ただ面白がっているだけの観戦者…
「最後は自己責任」、と思い定め、外野の声に惑わされない人でありたい。 |
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