2015.7.19 |
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物の見方・考え方 |
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松下幸之助氏の心に響く言葉より…
二宮尊徳翁がおもしろいたとえ話をしています。
田舎(いなか)から二人の若者が花のお江戸に仕事を求めて出てきました。
そうしますと、江戸では、街角で一杯の水を売っている人がいます。
二人はそれを見て驚きます。
しかし、その二人の驚き方が異なるのです。
一人の若者は、“なんと、江戸では一杯の水も金を払わないと手に入らないのか。このようなところではとうてい住みつづけることはできない”と、気を落として田舎に帰ってしまう。
ところがもう一人の若者は、“これはおもしろい。江戸では一杯の水を売ってさえ商売ができるのか。知恵を働かせば、商売の道は無限だな”と、胸をおどらせて江戸に残ることにした、というのです。
一杯の水を売っているという事実は一つですが、その見方はいろいろあり、悲観的に見ますと、心がしぼみ絶望へと通じてしまいます。
しかし、楽観的に見るなら、心が躍動し、さまざまな知恵や才覚がわいてくる、ということを尊徳翁はいいたかったのでしょう。
ぼくもその通りだと思います。
ぼくは、よく人から、「苦労されたでしょう」ということを言われたり、「いちばん苦労されたのは何ですか」という質問を受けたりするのですが、そのときいつもハタと困ってしまいます。
というのも、実際、あんまり苦労したという実感がないからです。
それはなぜかと考えてみると、おそらく、九歳で大阪に奉公に出てきてから今日まで、意識的にも無意識的にも、水売りの姿を見て江戸に残った若者のように、ものごとを積極的に、明るく見てきたからではないでしょうか。
船場での小僧時代には、確かに寒風ふきすさぶ冬の寒い朝に、手まで凍りついてしまうような冷たい水でぞうきんがけをしたり、ご主人の言われた用件を間違えて大目玉をくらったり、ビンタをはられたりしたこともありました。
しかし、当時はご主人や先輩から、常に、「苦労してこそ一人前になれるんやで。苦労というものはお前の身になるのや」と言われていましたし、一瞬、“つらいな”と思っても、次の瞬間、“いや、これは自分のための苦労や”と思い直していたように思うのです。
そうすると、苦労が苦労でなくなり、むしろ喜びに変わってきます。
このような小僧時代の物の見方が、習い性になったのでしょうか。
その後、独立して事業を始めてからも、一般的に見れば困難とか苦難とか言われる事態に何度もつきあたりましたが、そのいずれの場合もそのためにいつまでも悩み、困った結果を生んだということはなかったように思います。
たとえば不況がくれば、ただ困った困ったと嘆くのではなく、企業体質を改善する好機が来た、というように積極的に考えて、かえってプラスの成果に結びつけてきたように思うのです。
こうした物の見方・考え方は、困難や苦難にぶつかったときだけに必要なことではなく、毎日をより心豊かに、積極的に過ごすためにも大切なことではないでしょうか。
『人生談義 (PHP文庫)』
哲人、中村天風師は、「良いも悪いも、心の想いが人生を創る」といい、「積極思考」を説いた。
「積極思考」とは、どんな時も颯爽溌剌(さっそうはつらつ)として、積極的な言葉、つまり、人の気持ちを明るくするような言葉、勇気ある言葉、喜びを多く与える言葉を使うこと。
「“暑いなあ、やりきれないなあ”と思ったなら、“暑いなあ”のあとにもっと積極的なことをいったらよいではないか。“暑いなあ、余計元気が出るなあ”、と」(ほんとうの心の力・中村天風)PHP研究所
自分の言葉は、自分が一番聞いている。
だからこそ、常に、積極的な言葉を多く使う習慣を身につけること。
事実は一つだが、物の見方や考え方はいくつもある。
常に物事を、明るく積極的に見る人でありたい。 |
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