2015.6.2 |
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執着を捨てる |
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中村天風師の心に響く言葉より…
そりゃあ、私だって人間です。
裸にすりゃあ、へそはやっぱり一つですよ。
修行して、インドへ行って難行苦行したから、へそが三つになったわけじゃないんだから。
だから、私だって、そりゃあ腹の立つこともあれば、悲しくなることもある。
特に怒ることは、私は自分でも恥ずかしいくらい、のべつ怒ってたという人生だったんです。
今でもときどき、そういう気持ちが出ますよ。
こう言うと、「へえー、じゃあ天風、あんまり偉くないね」「あんまり偉くねえんだ」「それじゃあ、俺たちと同じじゃないか」「そう。同じ人間だもの」。
ただ、違うところが一つある。
どこだというと、同じ怒る、同じ悲しむんでも、「あ、今、天風先生、怒ったな、今、天風先生、悲しんだな」と、あなた方に見えないうちに消しちまう。
パパッ、パパッと。
あなた方は、怒りだしたり、悲しみだすと、そらもう派手ですぜ。
すぐ第三者に、「あ、怒ってる、悲しんでる」とわかるようにやりだすね。
そうして、わからせたうえに、これがまた実に、ほかのことじゃ辛抱強くもないのに、そういうときの感情だけは実に念を入れて長く続かせるね。
それを執着と言うんですがね。
『ほんとうの心の力』PHP研究所
「今泣いた烏(カラス)がもう笑う」という言葉がある。
今までずっと泣いていた子どもが、ちょっと面白いことがあると、次の瞬間もう笑っている、というようなことを言う。
子どもは感性が豊かだから、その時その時に集中して、即今(そっこん)の感情で動く。
しかし、大人はそうはいかない。
一度怒ってしまったら最後、すぐに笑うなどということはなかなかできない。
それが、メンツだったり、権威だったり、世間体だったりする。
つまり、大人になるにしたがって「しがらみ」が多くなり、感性が鈍(にぶ)ってしまうのだ。
その場その場に集中できず、いつまでも引きずってしまう。
どんなに怒りを覚えても、それを瞬間に消すという、「執着」を捨てる修行。
いつまでも怒っている人は、執念深い人。
執念深い人は嫌われる。 |
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