2015.5.27 |
|
頼まれごとがある人生 |
|
小林正観さんの心に響く言葉より…
「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句、辛い、悲しい、嫌だ、嫌いだ、疲れた」
という言葉を言わなくなって、三ヵ月から半年くらい経つと、突然に頼まれごとが始まります。
頼まれごとがきたら、基本的には全部引き受けます。
頼まれごとは「適当」にやることをお勧めします。
「適当に」というのは、『適度に』ということです。
「引き受けたからには、いい仕事をしなくてはいけない」
と気負わずに、そのときの加減で「良い加減」でニコニコと取り組んでいけばいいのです。
頼まれごとを引き受けて行くと、三年くらい経ち、ある方向性でこき使われていることに気がつきます。
「どうもこういうことをするために、この世に生まれてきたみたいだ」
というように、自分の“使命”がわかる瞬間があります。
それを「立命」の瞬間といいます。
自分の好きなこと、嫌いなことをより分けていると、なかなか自分の所に面白いことは起こらないようなのです。
宇宙の仕組みに、
「自我+お任(まか)せ=百」
という方程式があります。
自我が三十パーセントだと、お任せが七十パーセント。
自我がゼロパーセントだと、お任せが百パーセントという仕組みになっています。
私は、頼まれごとを、好き嫌いで選ぶのではなく、三つ目の選択をしています。それは、
「ただ、淡々と生きる」
という生き方です。
頼まれごとを、自分の評価、論評を入れずに淡々とこなしていく。
あれがしたい、これがしたい、という自我や目標があったら、そこにたどり着くために、努力しなくてはいけません。
また、努力しても叶わないこともあるでしょう。
ただ、頼まれごとをして淡々と生きていくと、何を頼まれるかわかりません。
自分が想像しなかった方向へどんどん流れていくこともあり、考えていたときよりも、はるかに楽しいことが起こっていくようなのです。
頼まれごとがあるということ自体が、人間としてとても幸せなことなのです。
「ヒトは一人で生きているとヒト。人の間で生きることが人間」
死ぬまでに人間として何をするのか、何のためにこの世に生を受けたのか?
それは、
「いかに人の間で喜ばれる存在だったか」
を残すことなのでしょう。
業績や実績を残すことではありません。
自分の身の回りの人(家族・友人・知人)から、
「あなたに○○をしてもらって良かった」
と言ってもらえること。
さらに向上すると、
「あなたがそばにいてくれて良かった」
というレベルになります。
そばにいるだけで、その人が自分を明るくして、心を温めてくれることを「仁」と呼びます。
「人が二人(あなたのそばにいつもいます)」という意味です。
「人に対して何かをする」という段階からさらにもう一歩踏み出し、相手が、「あなたのそばにいるととても幸せ」と言ってくれるようになったら「仁」の領域に入ります。
本当に喜ばれる存在という人は、何かをしてあげて喜ばれるレベルで留まるのではなく、その人がそこに居るだけでホッと和むような人になることらしいのです。
頼まごとをすべて引き受けなくてはいけないのかと聞かれることがありますので、断ってもいい頼まれごとを書いておきます。
「お金を貸してほしい」
というときは、自分ではなくお金に用事があるということですから、断っても構いません。
ただし、次の条件によって変わってきます。
お金に余裕があるときに、借金の頼まれごとを断ったとします。
貸したほうが、自己嫌悪が少ないのなら貸してあげる。
自分の生活を犠牲にしてまで貸すと、自己嫌悪が大きくなります。
「私」のレベルが変わると、自己嫌悪のレベルも変わります。
また、百キログラムの荷物を持ってほしいなど、物理的に無理なものや、単なる数合わせの場合、先約がある場合も断っても構いません。
PTAなど、今までやってことのないような頼まれごとがあります。
その場合はこのように判断するといいでしょう。
今までに経験したことのないものは、引き受けた結果としての自己嫌悪を味わったことがないので自己嫌悪は「ゼロパーセント」になります。
引き受けないときの自己嫌悪は「五パーセントくらい」あるかもしれないので、このような場合は引き受けるほうを選ぶということです。
これが一期目になり、二期目を引き受けるときには、改めて自己嫌悪が少ないほうを選ぶといいでしょう。
基本的に、自分の中で自己嫌悪を量ると答えが出てきます。
まだやったことがないのであれば、引き受けたほうが良いかもしれません。
自分ではできないと勝手に判断して断ることを「傲慢(ごうまん)」と言います。
基本的に、できない頼まれごとは来ません。
「一度断ってしまうと、三年間頼まれごとが来なくなる」
という宇宙法則もありますので、自分の能力を自分で量らないほうがいいようです。
『日々の暮らしを楽にする』Gakken
小林正観さんはこんなことを言っている。
「宇宙の仕組みは、どうも裏返し構造、二重構造になっているみたいだということがわかってきました。
何か意気込んでやろうとしている人ほど、どうも宇宙が味方しないようです。
反対に、執着がない人ほど、宇宙が味方をしたくなるようなのです」(同書より)
日本においては、たとえば、PTAなど様々な会合において、自ら立候補するするような人は敬遠される傾向がある。
人から押されたり、頼まれて役をやるような人の方に人気がある。
執着がない人、無私無欲な人は、その会を利用して自分が得をしようという意識がないからだ。
つまり、公の意識が強く、人に喜ばれるようなことを考える人。
「いかに人の間で喜ばれる存在だったか」
頼まれごとがある人生は幸せだ。 |
|
|