2015.5.20 |
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下駄屋と履物屋と靴屋 |
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斎藤一人さんの心に響く言葉より…
たとえば、みなさんが下駄屋をしているとします。
「自分は下駄屋をしている」と思うと、下駄が売れなくなると、つぶれてしまいます。
ところが、「自分は履物屋(はきものや)なんだ」と思えば、靴を売ればいい。
だから下駄が売れなくなってもつぶれない。
でも、「靴屋なんだ」と思っていると、本当は靴下も売れるかもしれないし、ハンカチも売れるかもしれないし、ズボンも売れるかもしれない。
あんまり自分をしばりすぎると、それしかできなくなってしまう。
だから、「私は商人なんだ」と思ったほうがいいんです。
もし、ここに飢餓が起きたとします。
「商人」だったら、急にお百姓になったり、すいとんを売ったりとか、いろいろとやります。
「自分は商人なんだから、商売ならなんでもやるんだ」
と、こういう気持ちを広く持ってください。
自分をあまり狭めてしまうと、いいことないんです。
なかには、こうおっしゃる人もいるでしょう。
「ウチには、昔から専門でやってきた誇りがあるんだ」
って。
なるほど、たしかに「専門」でやってて、良かったときがあったんです。
でも、今の時代に「専門で」って言ったって、スーパーマーケットの大きいものがどんどんできてきますよ。
自分が小さく「専門だ」とやっていても、専門でないところのほうが、たくさん品物が置いてあったりすることが起きてしまう。
そうするとイチコロで負けちゃいますからね。
商人って、「勝つ」か「負ける」かです。
『斎藤一人 変な人が書いた驚くほどツイてる話 (知的生きかた文庫)』知的生きたか文庫
「事業の定義が陳腐化しつつあることがわかったならば、定義を見直し、事業の方針と方法を変えなければならない」(経営の哲学)
とは、ピーター・ドラッカーの言葉だ。
自分は何屋であるとカンバンに掲げていても、現在売れているものは違うことが多い。
時代の変化によって、それは変わるからだ。
変化を乗り切るには、その事業の定義、すなわち何屋であるということを変えた方がうまくいく。
商売の幅、事業の領域を、広く考えれば考えるほど、チャンスの幅は広がる。
これは、人の世界でも同じことが言える。
自分は技術屋だから、モノを売らなくてもよい、などということはなく、むしろセールスが上手な人は、口下手な技術職の人だったりすることがある。
自分の専門領域を広げると、意外に新しい発見につながる。
「自分をあまり狭めてしまうと、いいことない」
事業も生き方も、再定義してみる必要がある。 |
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