2015.5.13 |
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この程度でちょうどいい |
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篠田桃紅氏の心に響く言葉より…
ほどほどに、まあ、八十代の平均寿命をまっとうして、なるべく病気をせず丈夫で、お金もほどほどにあり、人に迷惑をかけない。
そういう人生がいいだろうと、非常に常識的な一つの典型をつくることはできます。
しかしそれが人間のほんとうの幸福かというと、その人が幸福と思えば幸福ですが、ああつまらない、退屈な人生と思えば退屈です。
私も長く生きてきて、いろんな人に出会い、いろんな人の人生を見たり聞いたりしてきましたが、どういう人の人生が一番幸福だったのか、いくら考えてもわかりません。
たとえば、あの人は素敵な人だったと思うけれども、その人の妻はどうだったかというと、苦労させられたのかもしれないと思いますし、この人は立派で尊敬できる人だったけれど、その人の子どもはどうだったかというと、親と比較されて悩んだ様子でしたし、いいことずくめの人は見つかりません。
一つ得れば、一つ失うことは覚悟しなさい、ということなのでしょうか。
なにもかもが満足な人生はありえないようです。
一方で、豊かになれば人は幸せになれると、人類共通して思ってきましたが、それもまた違ったようです。
私もずいぶん裕福な人を見てきましたが、わけがわからなくなります。
どのように生きたら幸福なのか、「黄金の法則」はないのでしょうか。
自分の心が決める以外に、方法はないと思います。
この程度で私はちょうどいい、と自分の心が思えることが一番いいと思います。
ちょうどいいと思える程度は、百人いたら百人違います。
私はまだ足りなと思う人は、いくらあっても足りません。
そういう人はいくら富を手にしても、お金持ちになった甲斐はありません。
愛情を充分に与えられても、愛されていると自覚しません。
まだまだ足りないと思っているのですから。
これくらいが自分の人生にちょうどよかったかもしれないと、満足することのできる人が、幸せになれるのだろうと思います。
「幸福になれるかは、この程度でちょうどいい、と思えるかどうかにある」……いいことずくめの人はいない、一生もない……
『一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』幻冬舎
篠田桃紅(しのだ・とうこう)氏は、世界で最も尊敬される現役美術家と言われている。
1913年に生まれ、現在103歳。
墨を用いた抽象表現主義者として、世界的に広く知られ、今も第一線で制作している。
「吾(われ)唯(ただ)足(た)るを知る」、と彫られた京都の龍安寺のつくばいは有名だ。
「足るを知る」とは、満足することを知ること。
他人と比較すれば、嫉妬や不平不満が生じ、もっともっと、と欲しくなる。
幸せな人は、今ある幸せに気付ける人。
今あるあたりまえの日常に感謝できる人。
仕事ができてありがたい、健康でありがたい、生きていてありがたい、と。
すべてのことは、その人にとって、ちょうどいいことが起こる。
ちょうどいい仕事だし、ちょうどいい夫(妻)だし、ちょうどいい人生。
足るを知る人でありたい。 |
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