2015.4.27 |
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ナガタ、ナガサキという生き方 |
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小林正観さんの心に響く言葉より…
人生は修業ではありません。
自分がどれほど恵まれているかに感謝をすることが、魂の進化が究極に目指しているところです。
ありとあらゆることが全部感謝なのです。
先日対談した作家の神渡良平さんが書いた『天翔ける日本武尊』にこんなことが書いてありました。
「わたしたちが先祖代々伝えられてきたことは、非常に単純で明快なことで、二つのことに集約される。
一つ目が汝が楽しい(ナガタ)という生き方じゃ。
『あなたが楽しいと思ってくださることが私の幸せです』と、他の人の楽しみを思いやる生き方をすれば、こちらも不思議に栄えていくのじゃ。
二つ目は汝が幸い(ナガサキ)という生き方じゃ。
他の人の幸せを望み、『何か私でお役に立つことがあれば嬉しい』と思って行動する。
『あなたに幸せに思っていただくために、私は何をどうしましょうか』といつも相手のことを気遣っていきるのじゃ。
二つとも、『お先にどうぞ』と譲る精神じゃ。
このナガタ、ナガサキという生き方こそ、天地を貫く幸せの原理だと思う。
生きている間に、どれだけの人を幸せにできただろうか?
どれだけの人に希望や生きる力を与えることができただろうか?
生きている間に出合ったまわりの人々…親を初めとして、夫や妻、兄弟、わが子、友人、仲間たちを、どれほど楽しくさせてあげられただろうか?
どれほど人を思いやることができただろうかと自省し、行動する。
そんな生き方を『ナガタ』『ナガサキ』という。
今でもよく、『何か私にできることがあったら、どうぞおっしゃってください』と口にするし、『あなたのお幸せを心よりお祈りします』とも言うが、われわれの中には、そういったナガタ、ナガサキの精神が、知らず知らずのうちに受け継がれているのじゃ。
その結果、和を文化の中心に据(す)えた世の中が生まれてきたんじゃ」
これは、天照大神(あまてらすおおみかみ)の教育係りであった豊受(とようけ)の教えですが、やまと民族、日本の民族はずっと「ナガタ、ナガサキ」という、「汝が楽しければ吾が楽しい、汝が幸せであれば吾が幸いである」という生き方をしてきたのだと言っているわけです。
私が私がと主張するのではなく、この国の人間は『ナガタ、ナガサキ」という理想で生きてきた、ということです。
『「ありがとう」のすごい秘密』中径出版
「世のため人のために生きる」ということは、せんじ詰めれば、「あなたが楽しければ私も楽しい、あなたが幸せであれば私も幸いである」という生き方。
人は誰でも一度は死ぬが、我々がこの世を去ったとき、この世に残せるものは、人に与えた喜びと悲しみだけ。
お金も、家も、車も、愛する人も、子供も、一緒に連れてあの世には行けない。
心に残るその人の思い出が、温かで、幸せで、楽しかったのか、冷たくて、不幸で、楽しくなかったのか。
それは生涯に、どれだけ、人を楽しくさせたのか、どれだけ人を幸せにしたのか、ということ。
また、どれだけ、「お先にどうぞ」と譲る精神があったのかということ。
ナガタ、ナガサキという生き方をめざしたい。 |
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