2015.4.18 |
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おおらかで愛情深い人 |
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赤根祥道氏の心に響く言葉より…
豊臣秀吉は、戦の仕方についてこう語っている。
「軍(いくさ)は六、七分の勝を十分となす。降人を打ち果せば、とても遁(のが)れぬ道なりと、敵思い定めたらば、いよいよ強くなるものぞ。城を攻める謀(はかりごと)に、一方明けて攻むるも、敵に遁る道を知らせて、早く勝利を得んためなり」
つまり、一方だけ逃げ道を開けておけと言うのである。
また、こんなエピソードもある。
あるとき、家臣が辞めたいと秀吉に申し出た。
まだ、秀吉が一武将に過ぎなかったときである。
普通ならば、理由を問い質すか、あるいは腹を立て怒鳴り散らすか、いずれにせよ心中穏やかではいられないだろう。
ところが、秀吉はその家臣を招き入れ、自分の手で茶をたて、脇差などを与えている。
「何方へ行きても、思わしくなくば、また帰り来るべし。いつにても抱き得さすべし」
こう言って送り出し、また帰ってくる者については喜んで迎え入れたと言われている。
こういう部下を思う気持ちがあればこそ、部下から信頼され、慕われるのである。
常に相手の身になって考え、愛情を持って接していけば、注意したとしても必ず理解してくれるはずである。
心が人を動かすのだ。
『この“心がけ”ができる人できない人―成功する人は、今日から「自分を変える人」だ! (知的生きかた文庫)』三笠書房
中国の項羽と劉邦の有名な話がある。
項羽は武芸に秀で身長は180センチの大男。
また、項羽の軍は劉邦の軍とは比べようのないほど勇猛果敢で連戦連勝、そして、部下の失敗は絶対に許さなかったという。
また、敵対する城の住民や将兵は皆殺しにしていったので、その噂が広まり、かえって反抗する敵と城は増えていった。
降伏したら皆殺しにあうと分かっていたからだ。
その反対に劉邦は、降伏した者は助け、味方の軍に引き入れた。
一言でいうなら、項羽は「苛烈(かれつ)」だが、劉邦は「おおらか」。
どちらが勝ったかは言うまでもない。
四面楚歌となって、追い詰められたのは、項羽だった。
自分の味方だった人を敵にしてしまう愚を犯すことは世に多くある。
それが、自分に近ければ近い人であるほど、敵になったら手ごわい。
相手に、厳しく接すれば、厳しく対されるからだ。
自分の出身校や、以前勤めていた職場などの悪口を言う人も同じで、せっかく在籍していたのに、そこに関係する人たちを敵にまわしてしまう。
人のご縁をぷっつり切ってしまう人だ。
おおらかで愛情深い人でありたい。 |
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