2015.4.15 |
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自分の考えた通りになる |
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宇野千代氏の心に響く言葉より…
おかしなことであるが私は、いまから17、8年前、『おはん』という作品を書いたあと、ぴたりと筆が止まった。
一行も書けない。
その頃の私の頭の中に去来した思いの一つに、「私はもう書けない。私にはもう書くことがない。私はちょうどそういう年齢に達したのだ。詩想が枯渇する年齢に達したのだ」という、一つの牢固として抜き難い考えがあった。
「人間は何事も自分の考えた通りになる。自分の自分に与えた暗示の通りになる」
ある夜、天風先生が言われた。
「出来ないと思うものは出来ない。出来ると信念することは、どんなことでも出来る」
そう言われた。
ほんとうか。
では、私は、書けないと思ったから書けないのか。
書けると信念するれば書けるようになるのか。
17、8年の間、ぴたりと一行も書けなかった私が、ある日、ほんの二、三行書いた。書ける。
また、一枚書いた。書ける。
ひょっとしたら私は書けるのではあるまいか。
そう思った途端に書けるようになった。
書けないのは、書けないと思ったから書けないのだ。
書けると信念すれば書けるのだ。
この思いがけない、天にも上るような啓示は何だろう。
そうだ、失恋すると思うから、失恋するのだ。
世の中の凡てが、この方程式の通りになると、ある日、私は確信した。
そのときから、わたしは蘇生したように書き始めた。
こんな話がある。
九州地方に住んでいる或る男が、強度の神経痛にかかって福岡の大学病院に入院した。
豪農の息子か何かで、金に糸目をつけず、百方手を尽くしたが、治らない。
福岡では駄目だが、京都の大学病院なら治るに違いないと言うので、京都で入院したが、やはり効果がない。
いっそのこと東京ならと、最後の希みを托して東大病院に入院した。
しかし、ここでも治らなかった。
絶望の末その男は、或る街に住む高名な漢方医に紹介されて、その診断をうけた。
叮嚀(ていねい)に診断し了(おわ)ってその医者は、「あなたのこの病気は、あなたにとっては死病です。たぶん、あなたはこの病気で死ぬでしょう。しかし、ただ一つ、これは験(ため)しにやって見るのですが、この薬を飲んで見て下さい。昼と夜と二回これを飲んで、もし万一効き目があったら、明日の朝は真っ黒な便が出る。そうなったらあなたは助かるが、しかし、この薬も効き目はないと思うが」と言って、一包みの粉薬を渡した。
その男は顔面蒼白となって、もう死んだようになってその医者の許を立去った。
その筈(はず)である。
福岡、京都、東京と、名だたる大病院へ入院しても効果のなかった病気だったのだから。
ところが、その翌朝、慌ただしくその男が駈け込んで来た。
「先生、私は助かりました。真っ黒い便が出ました」
「出たか。そうか。助かったのか」と医者もともに手を取って喜んだ、という話である。
その男はそのまま九州へ帰ったが、先生から頂いた薬のお蔭で、さしも難病の神経痛がけろっと治った、と言う礼手紙が来た。
吃驚(びっくり)したのは医者の方である。
その粉薬は、飲むと腹の中の何とか言うものと化合して、真っ黒な便が出るものと決まっている、そう言う薬であった。
その薬を飲むと、真っ黒な便が出るに決まっているのに、「たぶん効き目はないと思うが」と駄目を押して飲ませた。
命が助かりたい一心で、藁(わら)をも掴む心持ちでその薬を飲んだ男にとって、それは一大暗示であった。
黒い便が出た、と思った瞬間に、その強烈な暗示によって、痛みが止まった。
いや、止まったと思ったのである。
そして、この痛みが止まったと確信したことで、ほんとうに痛みが感じられなくなったのである。
『行動することが生きることである―生き方についての343の知恵 (集英社文庫)』集英社文庫
人は、これはとても「できない」と思えば、できない理由を山ほど探してくる。
しかし、「できる」と思えば、できる方法をいくつも探すことができる。
「できない」と思いこみ、その一部分だけにスポットライトを当ててしまうからだ。
どんなトラブルに出会っても、何とかなるはずだ、必ず打つ手はあるはずだ、と思っていれば、その通りになる。
病気も、トラブルも、事業も、すべてのことは、あきらめたらそこで終わり。
「火事場の馬鹿力」という言葉があるが、人は絶体絶命の崖っぷちまで追い詰められると、そこでストンとスイッチが入り、異常な力が出ることがある。
一点の疑念もなく、「できる」と深く確信した瞬間だ。
人は、自分の考えた通りになる。 |
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